日本の伝統野菜-23.愛知県

目次

1.地域の特性

【地理】

愛知県は日本のほぼ中央に位置し、面積は5173㎢で全国第27位の広さを有しています。人口は754万2,415人で日本の総人口の6%を占め全国第4位です。

「愛知」の名前は平安時代の歌集「万葉集」の中の歌に詠まれている「年魚市潟(あゆちがた)」に由来するといわれています。鎌倉幕府を開いた源頼朝や戦国武将の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らが生まれた愛知は「武将のふるさと」として日本の歴史を生んだ地でもあります。

愛知県は、南は太平洋に面し、西は三重県、北は岐阜県と接し、東北は長野県、東は静岡県と4県に接しています。

地形的には、愛知県の54%を標高100m未満の土地が占めており、山が多い日本の中でも広い平野を有しているのが特徴です。平野の多さは河川によって形成されており、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川が作り出す濃尾平野は、全国でも2番目の広さの面積です。河川によって運ばれた土砂は、氾濫原や河口に溜まり、川の豊かな恵みによって、肥沃な土地となった沖積平野であり、農作などに向いています。

山間部は県東部(ほぼ矢作川以東)に広がる三河山地が主なものであり,県北の岐阜県境にも分布しています。県内最高峰は茶臼山(標高1,415m)です。丘陵地は県北端より南へ張り出す尾張丘陵および知多半島までの地域に分布し,標高が揃った定高性を持っています。

平野部は県西部の木曽川・庄内川中下流域に発達する濃尾平野,県央の矢作川西岸下流域の岡崎平野,県東部の豊橋平野などがあります。また、海岸線は太平洋、三河湾と接する渥美半島と三河湾、伊勢湾と接する知多半島により594kmと長く、沿岸一帯は水産資源に富んでいます。

愛知県はかつての尾張国と三河国の二国が合わさって地域で、現在の行政区分は尾張地方、西三河地方、東三河地方に区分されています。現在は中京工業地帯として自動車産業中心の工業が盛んで愛知県のほぼ中央にある豊田市はトヨタの企業城下町として発展していますが、いずれの地方でも農業も盛んです。

【気候】

愛知県の気候は全体的に年間を通して温和ですが、尾張地方と三河地方では地形その他の要因より特徴が異なります。尾張地方は日本海まで比較的距離も短く、冬期は関ヶ原などの山あいを通る季節風による降雪がしばしばみられ積雪となることもあります。「伊吹颪(いぶきおろし)」と呼ばれるこの風は、濃尾平野から渥美半島にかけて吹き降ろします。

愛知県の北から北東の方角には、飛騨山脈をはじめ日本の屋根といわれる中部山岳が連なっているため北東からの風は吹きにくく、冬は北西風が際立ち、夏は南東風が際立つ特徴があります。

三河地方の沿岸部である渥美半島と知多半島南部は熊野灘・遠州灘を流れる黒潮の暖流の影響を受け一年を通して温暖な気候です。氷点下になることはめったになく、尾張地域と比較すると気温も若干高くなります。また、積雪は1年に1度あるか、ないかです。夏場も風が通り抜けるという特徴があるため、暑さがこもりやすく抜けにくい尾張地域に比べて涼しく、過ごしやすい気候となることが多いという特徴があります。三河地方の山間部は、やや内陸性を帯び、冬は厳しい冷え込みとなります。

【農業の特徴】

愛知県の経営耕地面積は73,700haで、内、田が41,800ha、畑が26,200haで全国第11位です(農林水産省「作物統計調査 令和2年」より)。農業産出額は2,949億円で、全国第8位。その内、花卉(かき)が545億円で第1位です。

愛知県は一年を通じて比較的温暖な気候と、豊かな水資源に恵まれた農業に適した県です。古くから、木曽川、矢作川、豊川の豊かな水を利用した大規模な農業用水が開発されてきました。これらの用水は平野部だけでなく、渥美半島には豊川用水、知多半島には愛知用水など水不足に悩まされていた半島へも水を導いたことで愛知県の農業は飛躍的な発展を遂げました。現在では、決して広くない耕地面積から、全国でも有数な農業産出額を誇る農業県となっています。

愛知県では、「生産現場」と「県民の暮らし」において新たに「食と緑の基本計画2025」(計画期間:2021~2025年度)で “めざす姿”を定め、施策を展開しています。生産現場におけでは「持続的に発展する農林水産業の実現」、県民の暮らしでは「農林水産の恵みを共有する社会の実現」を “めざす姿”して農林水産の振興を図っています。

2.愛知の伝統野菜

愛知県は、古くから交通の要衝でもあったため、経済的・文化的発展とともに全国各地からさまざまな野菜や種が集まり、野菜づくりが盛んに行われてきました。これらの古くから栽培されてきた野菜を歴史的・文化的遺産として捉えるだけでなく、再び身近な野菜として利用されるよう「あいちの伝統野菜」として認定を行っています。

「あいちの伝統野菜」の定義は、以下の4つの条件を満たすものです。

(1)昭和30年頃に栽培されていたもの

(2)地名、人名がついているものなど愛知県に由来しているもの

(3)今でも種や苗があるもの

(4)種や生産物が手に入るもの

35品種を認定していましたが、2023年3月17日に「土田かぼちゃ」と「徳重だいこん」が追加され37品種になりました。

また、「あいちの伝統野菜」をより身近に利用していただくため、イメージアップマーク(この地にゆかりのある「信長・秀吉・家康」の三英傑を「愛知の歴史・伝統」に置き換えて記号化)を作成し希望者に使用許可しています(弊社団も使用許可実績あり)。

現在、愛知の伝統野菜に認定されている37品種のほかに、長久手市の伝統野菜「真菜(まな)」を追加しました。

※2024年5月8日に各品種の来歴を更新しました。

宮重大根(みやしげだいこん)

【生産地】清須市

【特徴】現在の青首大根品種の祖先、長さ40~45㎝、青首で先端は丸くなで肩である。首の部分の強い甘さがあり煮崩れしにくく、様々な料理に向く。葉は上を向き切葉である。

【食味】水分が多めで甘みが強い。

【料理】煮物、切り干し、漬物

【来歴】尾張国春日井郡落合村枝郷宮重(現:清須市春日宮重町)が発祥地。青首大根の一種。

樋口好古著「尾張徇行記(おわりじゅんこうき)」では、1672(寛文12)年の書上を紹介しており、「大根の献上については清須城主・松平忠吉(まつだいらただよし)の時世から始まり、また徳川家康(とくがわいえやす)の催促もあり、尾張初代藩主・徳川義直(とくがわよしなお)から大根が献上された」とある。

また、1645(正保2)年の尾張藩「御記録抜書(ごきろくぬきがき)」によると、3代将軍徳川家光(とくがわいえみつ)へ「宮重大根一折」が献上されたことが記されており、尾張大根が尾張徳川家から将軍家へ縄で包んだ贈答されていたことや、宝永年間以前にすでに「宮重大根」の名称が存在していたことがわかる。名称は、初代尾張徳川家の尾張藩祖・徳川義直(とくがわよしなお)が命名したとされる。1)

戦後1940年代後半、病気による打撃や嗜好の変化による需要減少により生産されなくなった。1990年頃、地元農家が家屋の片隅に残っていた種子を見つけ栽培したところ、江戸時代に描かれた宮重大根とそっくりな大根が収穫できたため、1992(平成4)年に地元農家の有志らによって「宮重大根純種子保存委員会」が設立され復活した。
現在、約2万本を市内のスーパーなどに卸している。(2024年1月時点)

尾張大根を代表する品種であり、現在、市場に流通している青首大根の多くは宮重大根の系統に属する。京野菜の聖護院大根も宮重大根の種を取り寄せ、産地化されたものとされる。しかし、江戸東京野菜の白首系の練馬大根が宮重大根の系統であるという説については、種苗研究家・森健太郎氏は疑わしいとしている。理由として「『北豊島郡誌(きたとしまぐんし)』に『蘿蔔(だいこん)の種子を尾張に求め』とあるが、練馬大根が、尾張からとりよせた大根を宮重とすると、遺伝学上、どこかに宮重の遺伝現象が認められるはずであるが、なんら認められない。」と記している。(全日本種苗研究会機関紙 種苗指針第2号所収より)

【時期】11月~12月

遠山佳治「東海地域の農産物(野菜類・穀類)からみた食文化の歴史的展開の一考察」(2022)名古屋女子大学紀要68(人・社)P165〜178
練馬区「練馬大根誕生伝説」綱吉説の考察5.

方領大根(ほうりょうだいこん)

【生産地】あま市(旧:甚目寺町・じもくじちょう)

【特徴】根は全体に純白で、形は首が太く先端にかけて細く曲がっている。葉は横方向に展開する。ふろふき大根として美味。

【食味】肉質が緻密で柔らかい。江戸時代の書物「尤草子(もっとものそうし)」に「色雪のごとく白く、甘きこと飴(あめ)のごとし」と記述されている。

【料理】煮物、サラダ

【来歴】起源は明らかではないが、海部郡(あまぐん)甚目寺村(じもくじむら)方領(ほうりょう)(現・あま市方領)が発祥地とされる白首大根の一種。

1774(安永3)年、尾張徳川候が鷹(たか)狩りの折に、村人がこの大根を献上したところ「太く、大きく、かつ美味」と賞賛し、尾張大根の名で全国的に名前が知られたとされる。練馬大根はここから発祥したものともいわれる。1)

1881(明治14)年に、方領地区の有志により「海東郡(かいとうぐん)方領大根(ほうりょうだいこん)採種組合」が組織され、品種改良が進められた2)。昭和40年代に青首大根が台頭し、生産量が減少したため、農家の自家消費分のみの栽培となった。現在は、原産地の町おこしに取り上げられ、市の伝統野菜の代表格となっている。

【時期】1月~2月

1)農山漁村文化協会 2006, p. 134.
2)あま市「方領大根」

守口大根(もりぐちだいこん)

【生産地】丹羽郡(にわぐん)扶桑町(ふそうちょう)

【特徴】細長い。直径2㎝前後、長さ1m20~30㎝前後、長いものでは1m80㎝以上にも達する。

【食味】肉質が緻密でしまっており、粕漬けにすると非常に歯切れがよい。

【料理】漬物

【来歴】守口大根は、2001(平成13)年に「飛騨・美濃伝統野菜」、2002(平成14)年に「あいちの伝統野菜」、2007(平成19)年に「なにわの伝統野菜」に認定されている。

守口大根は、室町時代に守口、淀川周辺(現:大阪府守口市)で発祥したとされる。1585(天正13)年に守口村に立ち寄った豊臣秀吉が、大根漬けの味を絶賛し「守口漬(もりぐちづけ)」と名付けた。

また、17世紀初期の江戸時代には中国大陸から長大根が伝わっていた。岐阜では、ホソリ大根や美濃干大根と呼ばれる長大根が生産されており、主に切り干し大根に使用されていた。この長大根はやがて守口漬に使用されるようになり、守口大根という名称に変わっていったという説もある。愛知県にも導入されたが、時期は戦後である。

現在の守口大根の産地は、木曽三川の沖積土の堆積によってできた栽培に適した木曽川流域の愛知県丹羽郡扶桑町と岐阜県各務原市である。「守口漬け」のみに使用されており、生産者と漬物業者との契約によって栽培量を決めているため、一般市場に出回ることはない。

【時期】12月~1月

八事五寸人参(やごとごすんにんじん)

【生産地】名古屋市八事(やごと)

【特徴】色が濃く、芯が小さい。柔らかく早く煮えるが、煮くずれせずに味付きがよい。

【食味】肉質が良く甘みが強い。

【料理】煮物、サラダ

【来歴】尾張徳川家の祈願寺であり「尾張高野(おわりこうや)」ともいわれる「八事山遍照院興正律寺」がある八事村(現:名古屋市昭和区八事)が発祥地とされる。近くには江戸時代の灌漑池(現:隼人池公園)も公園として残っており、昭和の半ば頃まで田畑が多く残る地域であった。

「八事五寸にんじん」は、大正8年に元八事(現:名古屋市天白区)の農家が、東京の種苗会社から導入した種から選抜したのがルーツとされ、「八事五寸にんじん」の名は地名「八事」と、ニンジンの品種名「五寸ニンジン」から付けられた。

当時、市場での評判がとても良かったので、産地では生産を徐々に増やし、昭和初期には、東京や大阪の市場を始め、香港にも輸出されていた。現在は10軒 ほどの農家が伝統を守るため栽培しており、学区で収穫祭を行ったり、八事商店街振興組合が販売や加工品の商品開発などに携わるなどし、地域をあげて保存・継承に取り組んでいる。

【時期】12月~3月

碧南鮮紅五寸人参(へきなんせんこうごすんにんじん)

【生産地】碧南市(へきなんし)

【特徴】芯まで濃く鮮やかな色がつく。芯の老化も遅く春先まで収穫できる晩生種。収量も多い。

【食味】濃厚な味わいと豊かな甘みがる。生で食べてもにんじん臭さが少ない。

【料理】煮物、サラダ

【来歴】大正時代に矢作川(やはぎがわ)下流の碧南市(へきなんし)を中心とした砂地で、越冬にんじんとして栽培されてきた西洋系にんじん。碧南地域に適した品種にするために自然交雑や選抜を行って開発された在来種。

【時期】12月~2月

木之山五寸人参(このやまごすんにんじん)

【生産地】大府市(おおぶし)

【特徴】芯まで赤い。

【食味】肉質が柔らかく、食味良好。

【料理】煮物、サラダ

【来歴】八事五寸にんじんを親として大府市木之山地区で育成された品種。最盛期(1970年頃)には30件近くの農家で作付けされ、市場でも人気を誇っていたが、耐病性がなく割れやすく秀品率が低いため作付はほとんどない。さらに、高齢化が進み、後継者も不足したため、作付け面積が縮小されていった。以前は25軒ほどあった生産農家も現在は出荷を行うのは4軒ほどとなっている。(2020年現在)名前の由来は、大府市木之山地区の地名から名づけられた。

【時期】1月~2月

八名丸さといも(やなまるさといも)

【生産地】新城市(しんしろし)

【特徴】一般的な里芋に比べて形が丸い。

【食味】肉質が軟らかく、粘り気のあるモチモチとした食感が特徴

【料理】煮物、コロッケにも合う。

【来歴】愛知県東部の奥三河地区にある新城市(しんしろし)一鍬田(ひとくわだ)地内(旧:八名郡(やなぐん)八名村(やなむら))が発祥地とされる。芋の数が多い優良な里芋を選抜し生産してきた。1945(昭和20)年に、八名村が発祥地であることと、丸い形状をしていることから「八名丸さといも」と命名された。2002(平成14)年には「あいちの伝統野菜」に選定。JA愛知東では、2005(平成17)年に「八名」「八名丸」「八名丸里芋」とイメージキャラクターの「八名丸くん」を商標登録し、特産化を目指している。

【時期】9月~3月

愛知本長なす(あいちほんながなす)

【生産地】あま市(旧:美和町みわちょう)

【特徴】実は濃い黒紫色で光沢がある。長型18~20㎝。

【食味】食味の良い品種。

【料理】焼物、煮物

【来歴】1935(昭和10)年から愛知県の尾張北部やあま市美和(みわ)地区を中心に夏~秋に収穫する抑制栽培用の品種の一つとして栽培が始まった。1945(昭和20)年頃から愛知県の主要品種となったが、時代とともに栽培品種が変わった。現在では栽培している農家も少なくなり、自家消費野菜になっている。

【時期】7月~9月

あま市「愛知本長ナス」

天狗なす(てんぐなす)

【生産地】設楽町(したらちょう)、東栄町(とうえいちょう)、豊根村(とよねむら)

【特徴】果実の形状は長卵系(ちょうらんけい)で、色は紫~淡紫色。1本の重さが400~700gになり、普通のナスの4~5本分もある。

【食味】果肉はやや緻密(ちみつ)で水分を多く含み、加熱調理すると柔らかくトロッとした食感になる。

【料理】焼きなす、ソテー

【来歴】愛知県東部の奥三河地区にある中山間地の北設楽郡(きたしたらぐん)設楽町(したらちょう)にある標高600 mの津具(つぐ)地区を中心に栽培されている。栽培が始まったのは昭和初期・戦前の頃からとされる。

「天狗ナス」は、花のめしべの下の端のふくらんでいる部分で、受精して果実となる子房(しぼう)の一部に変形による突起ができやすく、時折「天狗の鼻状の奇形果(きけいか)」が発生することから、地元に伝わる天狗伝説(てんぐでんせつ)にちなんで「天狗なす」と名付けられた。

同地区の「奥三河天狗ナス保存会」に属する一軒の農家が代々採種してきており、部会員全員がこの種子を利用して栽培を行うことで安定した品質を保ち、「奥三河天狗ナス(おくみかわてんぐなす)」のブランド名で販売している。「天狗ナス」のブランド価値が高まる一方で、需要量に対して生産量が不足しており、産地としての出荷量をさらに増やすよう市場から求められている。(2021年時点)

【時期】7月~10月

愛知の伝統野菜「天狗ナス」における収量向上に向けた仕立て方法

青大きゅうり(あおだいきゅうり)

【生産地】尾張(おわり)地域

【特徴】普通の胡瓜の3倍ほどになる大型。果は中央部が太く両端は細くなる。肉質は硬めで皮はやや硬く果肉厚い。

【食味】シャキシャキと歯ごたえがあり、昔のキュウリの懐かしい味がする。

【料理】酢の物、サラダ、煮物

【来歴】来歴の詳細は不明だが、日本に古くからある華南型(かなんがた)の黒イボ系の品種で、尾張地方で戦前から栽培されている。水田裏作として栽培されてきたが、1965(昭和40)年代に表面がなめらかで皮の薄い白イボ系の品種が主流になると作付されなくなっていった。現在は主に常滑市(とこなめし)・蒲郡市(がまごおりし)などで生産されている。

※華南型とは、原産地から沿海路を経て華南や華中に定着した「華南型品種群」で、たいして華北型は、シルクロードを経て華北地方に定着した「華北型品種群」である。

【時期】6月~7月

ファーストトマト(ふぁーすととまと)

【生産地】豊橋市(とよはしし)、宝飯郡(ほいぐん)、渥美地域(あつみちいき)

【特徴】早春から作られる冬トマトの一種。果実の先端であるお尻の部分が尖(とが)った形をしている(高温期の露地栽培では尖らないこともある)。皮が薄く、種の周りにあるゼリー質が少なくて実が崩れにくいのが特徴。

【食味】果肉は固めで甘味と酸味がしっかりしている。

【料理】生食、サンドイッチやサラダに合う。

【来歴】「愛知ファーストトマト」は、1938(昭和13)年に愛知県豊橋市の豊橋温室園芸農業協同組合がアメリカから導入された桃色系大玉品種「ポンデローザ」を元に育成された。名前の由来には様々な説があるが、育成に携わった人が草野球チームに所属しており、守備位置が一塁(ファースト)だったことから付けたという説がある。

日本人の味覚に合うトマト品種の育成が盛んになったのは昭和からで、「ファーストトマト」が広く受け入れられたことからトマト生産が日本各地で行われるようになった。戦後はトマトの需要が飛躍的に増大していったが、ファーストトマトは保存性が悪く傷みが早いため、未熟な青いうちに収穫し出荷されるようになり、味が犠牲にされるようになってしまった。そこに、1985(昭和60)年に「桃太郎トマト」が登場したことで作付けが減っていった。近年、再びファーストトマト本来の味が見直され、美味しい完熟の状態で収穫された物が出回り始めた。

ちなみに、トマトの未熟な果実には「トマチン」という毒性のある物質が含まれ、食中毒を起こす原因になることが知られている。完熟するに伴いトマチンは少なくなり、安全に食べられるようになる1)ので完熟したものを食す。

【時期】1月~3月

1)一般社団法人日本植物生理学会

愛知縮緬かぼちゃ(あいちちりめんかぼちゃ)

【生産地】大治町(おおはるちょう)、大府市(おおぶし)

【特徴】日本かぼちゃの一種。果皮に特有のひだが多くあり、硬い。果肉は、表面近くが緑色、中心は濃黄色で水分が多い。

【食味】粘質の食感で糖度が低く、ホクホク感は薄いが、涼やかな甘さで、なめらかな舌触り。

【料理】煮物、表皮の美しさを活かす和食に最適。

【来歴】明治から大正時代の記録によると、海部郡(あまぐん)大治村(おおはるむら)砂子(すなご)で栽培されていた砂子南瓜(すなごかぼちゃ)を改良して、栽培されるようになったとされる。果実が大きくなると、表面に小さなこぶが縮緬(ちりめん)状にできる。名前の由来は、この外見から「縮緬(ちりめん)かぼちゃ」と呼ばれている。

最盛期には、砂子かぼちゃ組合が組織され、1980(昭和45)年頃までは名古屋の市場に出荷され、県内の料亭で利用されたり青果店で販売されたりしていた。近年は甘味の強い西洋かぼちゃが好まれるようになり、栽培面積はわずか。令和6年1月1日現在、大治町での生産は確認されていない。※1

【時期】6月~7月

※1愛知県大治町の特産野菜を知ろう「愛知縮緬カボチャ」

渥美アールスメロン(あつみあーるすめろん)

【生産地】田原市(たはらし)渥美(あつみ)地域

【特徴】青皮でネットが細かく一面に入る。

【食味】上品な香りと甘さでくだものの王様と呼ばれている。

【料理】デザート

【来歴】1925(大正14)年に導入されたアールスフェボリット種が日本におけるアールスメロンの始まりである。芳醇(ほうじゅん)な甘い香りからじゃ香“musk”(ムスク)に由来「マスクメロン」とも呼ばれる。

渥美半島では1932(昭和7)年頃に栽培が始まったとされる。1968(昭和43)年に豊川用水が通水し、栽培面積が増え、高級メロンとして1971(昭和46)~1975(昭和50)年頃までをピークに栽培されていた。中でもアールスフェボリット種高松は、「高松メロン」と呼ばれ名品とされていた。1985(昭和60)年代には品種が統一され「渥美アールス」のブランドが確立されたが、現在、純系アールスメロンは、ほぼ栽培されていない。

【時期】7月~8月

落瓜まくわうり(おちうりまくわうり)

【生産地】江南市(こうなんし)

【特徴】まっくわうりの一種。肉質は緻密で香りが強く、果実は800g~1㎏と大きく、灰緑色の皮に銀白色の縦縞が入る。

【食味】果肉は柔らかく、強い芳香とやさしい甘み。

【料理】デザート、若取りは漬物

【来歴】「まくわうり」の歴史は古く、2世紀頃の縄文時代の初期には食されていたとされる。紀元前3~ 紀元3世紀弥生式文化の遺物にも、その痕跡(こんせき)が認められている。現在の岐阜県南部に位置する美濃国(みののくに)真桑村(まくわむら)(のちの真正町(しんせいちょう)、現:本巣市(もとすし))が良品の産地で、名前は名産地の真桑村に由来する。各地に多くの在来種があり、果皮も緑色系、灰色系、黄色系がある。

「落ち瓜」は尾張地方で古くから栽培されていた。名前の由来は成熟するとツルから自然に実が離れ落ちることから付いたとされる。

【時期】7月~8月

金俵まくわうり(きんぴょうまくわうり)

【生産地】江南市(こうなんし)周辺、安城市(あんんじょうし)

【特徴】果実は明るい黄金色の俵型、果重が350g前後。

【食味】果肉は白くて甘みに富んでおり、なつかしい香り。

【料理】デザート

【来歴】「まくわうり」の歴史は古く、中国で東洋系の「まくわうり」が発達し、日本に伝来したとされる。2世紀頃の縄文時代の初期には食されていたとされる。紀元前3~ 紀元3世紀弥生式文化の遺物にも、その痕跡が認められている。現在の岐阜県南部に位置する美濃国真桑村(まくわむら)(のちの真正町、現:本巣市)が良品の産地で、名前は名産地の真桑村に由来する。奈良時代末期に成立されたという『万葉集』にも登場し、歌に詠まれている。各地に多くの在来種があり、果皮も緑色系、灰色系、黄色系がある。

マクワウリの価値が広く認められるようになったのは、明治中期以後のことで、中国大陸・朝鮮からマクワウリの一種であるナシウリ・ナツメウリが導入されて土着し、主要な品種となってからのことである。1)

「金俵まくわうり」は愛知県が原産とされる。1885(明治18)年に中国(当時清国)から「まくわうり」の種子が愛知県に導入されたと言われるが、1907(明治40)年頃に「金俵まくわうり」のもととなった「棗瓜(なつめうり)」がみつかり、尾張名物として、明治から昭和にかけて江南市や安城市を主に広く栽培された。

名前の由来は、俵のような形と、熟すと表皮が黄色く金色に輝いてみえること付いたとされる。

【時期】7月~8月

1)西貞夫「野菜あれこれ(4)」(1980)P33

かりもり/堅瓜(かりもり/かたうり)

【生産地】清須市(きよすし)、丹羽郡大口町(にわぐんおおぐちちょう)

【特徴】形は長さ25㎝、1㎏程度。果皮は緑色で果肉は白色。

【食味】シャリシャリと歯応えがある。

【料理】漬物

【来歴】堅瓜(かたうり)の名の通り、非常にかたい。詳しい来歴は不明だが、尾張地方に古くから在来する漬物用のシロウリ品種(漬瓜)で、種子の交換を通じて各地に伝わってきた。明治末期には、現在の名古屋市を中心に栽培されており、昭和に入り、産地は尾張北西部に広がり、漬物業者との契約栽培が行われるようになった。

現在の主要な栽培地である丹羽郡大口町では、1965(昭和40)年頃から水田や桑畑を開墾した畑で作付けが始まった。

かりもりの粕漬けは愛知県全域に広がる郷土食。名前の由来は、漬物にした時に、カリッと食感が良く、ごはんがモリモリ食べられることから付いたとされる。

【時期】7月~8月

みんなの農業広場「かりもり」

早生かりもり(わせかりもり)

【生産地】尾張(おわり)地域、刈谷市(かりやし)、碧南市(へきなんし)

【特徴】短円筒形の薄緑色。果肉は緑色を帯びた白。

【食味】歯切れの良い食感。

【料理】漬物

【来歴】明治時代から栽培されている。

【時期】7月~8月

早生とうがん(わせとうがん)

【生産地】安城市(あんじょうし)

【特徴】果実は熟すると表面に白い粉を吹き、最大でも3kg程度である。

【食味】真っ白の果肉がみずみずしい。

【料理】汁物、煮物

【来歴】冬瓜(とうがん)はインド原産で、紀元前2000年頃の古代インドにおける栽培が確認されている。3世紀頃に中国に伝わり、中国の医薬書には冬瓜の利尿作用や熱を冷ます効果が記載されており、食用だけでなく薬用としても重宝された。

日本には5世紀頃に伝来したと考えられている。奈良時代の「正倉院文書(しょうそういんもんじょ)」などでは「冬瓜(とうがん)」や和名の「鴨瓜(かもうり)」の記載がある。平安時代の「本草和名(ほんぞうわめい)」には、「白冬瓜(バイドングゥア)」の項目で、和名を「加毛宇利(かもうり)」と記載されている。1)冬瓜の収穫時期は夏だが、皮が厚くて固く、冷暗所などで保存すれば冬までもつことから、その名がついたとされる。

「早生とうがん」は小ぶりで韓国が原産とされる。明治時代から愛知県尾張地方を中心に栽培され、県下全域で栽培されていた時期もある。戦後の食糧難の時代によく食べられていたという。2)

【時期】7月~8月

1)日本国際薬膳師会「026冬瓜」
2)農林水産省 うちの郷土料理「とうがん汁」

野崎2号はくさい(のざきにごうはくさい)

【生産地】名古屋市、尾張(おわり)地域

【特徴】頭部がよく包被した円筒型。結球しやすい。

【食味】葉肉は厚みがあり肉質が柔らかく、甘みがある。

【料理】鍋物、煮物

【来歴】日本における早生白菜の代表的品種で、全国的に栽培された初の白菜。

1875(明治8)年に中国から山東白菜(さんとうはくさい)が導入され、それを愛知県の植物栽培所(現:愛知県農業総合試験場)が頼み込んで2株譲り受けて栽培を始めた。栽培係の佐藤管右衛門氏は、育った白菜から元の白菜に似た株だけ残してその花を咲かせて種子を取るという方法を10年繰り返し、結球した白菜の種子を取ることに成功したが、その白菜はまだ完全に結球しているとは言えない半結球の白菜だった。愛知栽培所では1885(明治18)年に、付近の農家に種子を分けて栽培してもらい山東白菜として売り出すようにした。

愛知郡荒子村(現:名古屋市中川区)の野崎採種場の創業者である野崎徳四郎(のざきとくしろう)氏は、1885(明治18)年以来、改良を加え、10年後の1895年(明治28年)に国産では初めての完全な結球白菜として「野崎一号」を誕生させた。

1916(大正5)年には「野崎白菜」として命名し発表。1917年(大正6年)には愛知県農事試験場と協議して愛知県から正式に新しい品種として認められ「愛知ハクサイ」と名付けられた。

その「野崎白菜一号」を改良した「野崎白菜二号」は、2002年に愛知県の伝統野菜に認定されている。この功績から野崎徳四郎氏は「白菜の生みの親」と呼ばれている。「野崎二号」は、市場には出回っていないが、現在も自家用野菜として栽培されている。

【時期】11月~12月

株式会社野崎採種場「野崎白菜二号」
名古屋市中川区人物事典「野崎徳四郎」
板倉聖宣『白菜のなぞ』(1994)仮説社

野崎中生キャベツ(のざきちゅうせいきゃべつ)

【生産地】尾張(おわり)地域、三河(みかわ)地域

【特徴】葉は淡緑色の扁平大型球で品質の良い中生種。

【食味】食味は良い。

【料理】サラダ、煮物、炒め物

【来歴】「愛知県園芸発達史」(1981(昭和56)年発行)によると、江戸時代にオランダ人が持ち込んだとされるキャベツが愛知で栽培され始めたのは1887(明治20)年だとされ、愛知郡荒子村(現:名古屋市中川区)の野崎採種場の「野崎徳四郎(のざきとくしろう)氏が、名古屋市、佐藤管右衛門氏より種子の分譲を受けて栽培したのが始まり」との記述がある。※佐藤管右衛門氏は、愛知県栽培所(現:愛知県農業試験場)栽培係で白菜でも貢献された方。

しかし、キャベツの国産品種の先駆けは、1897(明治30)年代に育成された盛岡の南部甘藍(なんぶかんらん)や札幌の札幌甘藍(さっぽろかんらん)だとされる。1)野崎徳四郎氏は1897(明治30)年に複数の原種を導入し育成を試みている。

「野崎中生キャベツ」は、野崎採種場の野崎綱次郎(のざきこうじろう)氏が、輸入種Henderson’s Succession(ヘンダーソンズ・サクセション)種を元に、外葉と球の割合、玉揃いと結球率の向上を目標に改良し育成した品種で、1921(大正10)年に完成したとされる。大正から昭和前半期の日本キャベツの代表的品種となったが、時代とともに生産性の高い品種への交代や市場性の変化から生産量が減少し、現在は入手困難。

【時期】夏蒔きで11~12月、秋蒔きで6~7月

1)清水克志「日本におけるキャベツ生産地域の成立とその背景としてのキャベツ食習慣の定着」(2008)地理学評論 81-1 1-24
2)野口種苗研究所「野崎中生甘藍」
3)住友化学株式会社 農力「キャベツのすべて」

愛知大晩生キャベツ(あいちだいばんせいきゃべつ)

【生産地】名古屋市

【特徴】形状はやや扁平で、2~3㎏の大玉になる。抽台が極めて遅い晩生品種で、芯が大きくならない。葉脈が太くて多く、葉が波打っている。

【食味】葉肉に厚みがあり甘くて貯蔵性に優れる。

【料理】焼きそば、お好み焼、ロールキャベツ

【来歴】愛知県名古屋市西部にある岩塚村(いわつかむら)(現;岩塚)は、庄内川の左岸に位置しており、古くは農業が盛んな地域であった。愛知大晩生キャベツは1965(昭和20)年代後半から同地区で育成が始まったとされる。抽台が極めて遅い晩生品種で、キャベツの端境期である3~4月に出荷ができたため、市場で好評を博したと言われている。サイズが大きいため、一般消費者向けには売り難く、業務用や船積み等利用されており、愛知ではなく大阪方面の焼きそばの具として利用されていた。現在は、栽培農家が非常に少なくなっており、市場で見かけることは稀。「岩塚キャベツ」とも呼ばれれていた。

【時期】3~4月

名古屋市農業委員会だより第4号2018(平成30)年7月発行

餅菜/正月菜(もちな/しょうがつな)

【生産地】尾張地域

【特徴】小松菜に近い在来の菜類であるが、現在の小松菜品種に比べ、葉の色は淡い。

【食味】くせがなく、シャキシャキと心地よい食感。

【料理】汁物、サラダ

【来歴】古くから尾張地方で栽培されてきた。「正月菜(しょうがつな)」とも呼ばれ、江戸時代に尾張藩では、正月の雑煮は、餅と菜を一緒に食べるのが慣わしで「名(菜)を持ち(餅)上げる」として縁起を担いでいた。

【時期】12月~1月

大高菜(おおだかな)

【生産地】名古屋市緑区大高町(おおだかちょう)

【特徴】特有の芳香とほろ苦い風味があり、繊維質が少ないため柔らかで上品な口当たり。草丈の長さは三尺(90cm)と大きい。

【食味】葉柄や葉の軸の部分が太く、多く、食べる時に歯切れが良く柔らかい。

【料理】汁物、和え物

【来歴】江戸時代から大高村の特産品。『大高町誌』によると「大高菜」は「伊勢菜(いせな)」から派生したものとみられ、江戸時代頃から広く栽培されてきたとされる。『知多郷史(ちたごうし)』によると、慶長年間には大高領主・志水甲斐守(しみずかいのかみ)の志水忠宗(しみずただむね)から尾張藩に毎年献上されたと記されている。地誌『尾張志(おわりし)』には、大高村では海藻を肥料にするため、特に味が良く、名産であることが記されている。江戸時代末期のこの地方の名勝や名産などを描いた『尾張名所図会(おわりめいしょずえ)』にも大高村の特産品として登場する。

【時期】12月~1月

大高町誌編纂委員会編纂『大高町誌』(1960)黎明書房
貴重和本デジタルライブラリー「尾張志」巻之五十六 知多郡之二 産物 愛知県図書館

松菜(まつな)

【生産地】あま市甚目寺町(じもくじちょう)

【特徴】形は松の葉に似て、生育は旺盛である。

【食味】幼葉を食し、味は淡泊で粘り気がある。

【料理】汁物、さしみのツマ

【来歴】主に海部郡(あまぐん)甚目寺町(じもくじちょう)で生産されている。明治時代より栽培が始まった。古くから宴席の祝儀ものとして、吸い物の青みなどに用いられてきた。名前の由来は五葉松(ごようまつ)の葉に似ていることからついた。

【時期】12月~1月

治郎丸ほうれん草(じろまるほうれんそう)

【生産地】稲沢市(いなざわし)

【特徴】種子は刺がある。葉は切れ込みが多く、やや細長い。根は桃色が鮮やか。

【食味】茎葉ともやわらか

【料理】お浸し、炒め物

【来歴】「治郎丸ほうれん草」の発祥地である愛知県稲沢市(いなざわし)治郎丸中町(じろまるなかまち)には、ほうれん草栽培によって産業を振興した先人達の偉業をたたえる石碑が建てられている。そこに記されている内容には、同地にほうれん草が導入されたのは1917(大正6)~1918(大正7)年で、1924(大正13)年頃に地域の青年たちが中心となって栽培法の改善や品種の改良などへの取り組んだとある。1)

当時、日本在来種の東洋系ほうれん草は市場性が低くかったため、同地では、1925(大正14)年頃に西洋種を導入し、日本種と西洋種を一畝おきに蒔いて育てたところ、自然交雑により一代雑種の優秀な種が採れた。1930(昭和5)年にこの品種を「治郎丸」と命名した。1933(昭和8)年頃には、同地は県内外に知られる一大産地となり、「治郎丸ほうれん草」は全国へ普及していった。

しかし、時代を経るに従い、各種の交雑種が流通するようになり栽培は減った。戦後に固定種として復活したものの現在、生産量は大幅に減少している。

【時期】11月~2月

1)発祥の地コレクション「治郎丸ほうれん草」

愛知白早生たまねぎ(あいちしろわせたまねぎ)

【生産地】東海市(とうかいし)

【特徴】形は平型、扁平で尻がくぼんでいる。色合いは白色。

【食味】玉ねぎ特有の辛味が少なく、甘くて柔らかい。

【料理】サラダ

【来歴】明治初期に導入されたフランスの品種「ブラン・アチーフ・ド・パリ」の改良種とされる。明治時代の中期に「白色種」が早出し用として普及し、大正年代から知多郡(ちたぐん)横須賀(よこすか)、八幡(やはた)地域(現:東海市)にて「白早生(しろわせ)」として栽培されるようになった。

しかし、1966(昭和41)年以降は、栽培がより容易で多収量の甲高(こうだか)の「黄色種」に移行していき、生産は減少していった。また、母球の貯蔵性が悪く、採種が難しいため、県内での種子の生産も無くなっていった。

そこで愛知県種苗協同組合では国の遺伝資源をもちいて、2001(平成13)年から種子の生産を再開し、現在も栽培が続けられている。

【時期】2月~4月

知多3号たまねぎ(ちたさんごうたまねぎ)

【生産地】大府市(おおぶし)、南知多町(みなみちたちょう)

【特徴】形は甲高の真円球で、超大玉500g程度。皮は黄色みが強い。

【食味】肉質は柔らかく、タマネギ特有の刺激、香りが少ない、糖度が12度以上と甘みが強い。

【料理】サラダ

【来歴】愛知県南部の知多半島が産地。知多半島には明治時代に玉ねぎが導入されたとされる。

1950(昭和25)年頃から玉ねぎの品質・収量がすぐれた系統を選抜し、「知多黄早生(ちたきわせ)」1号が選抜され、その後、2号、3号と改良された。現在も栽培が続いているのが3号。

【時期】6月~7月

養父早生たまねぎ(やぶわせたまねぎ)

【生産地】東海市(とうかいし)、知多市(ちたし)

【特徴】知多早生たまねぎとも言う。皮は黄色、形は平型、扁平で尻がくぼんでいる。

【食味】柔らかく甘みが強い

【料理】サラダ

【来歴】1945(昭和20)年頃から愛知県東海市の養父町(やぶちょう)・大田町(おおたちょう)で栽培されていたとされる。現在は、東海市や知多市、大府市で栽培されている。

JAあいち知多は、2004(平成16)年から極早生種を「早出したまねぎ『たま坊』」というブランド名で売り出しており、「あいち白」、「養父早生たまねぎ」、「早生浜ゆたか」、「浜笑」の4品種を使用している。JAあいち知多東海地区の「たま坊」の収穫量は、年間約1,000トンで、このうち「あいち白」は収穫量の1割弱を占め、「養父(やぶ)早生」は、収穫量の2割強を占めている。

【時期】1月~3月

JAあいち知多「養父早生」タマネギの種子採種/採種技術を継承
愛知県 あいち知多農業協同組合(たまねぎ)

越津ねぎ(こしづねぎ)

【生産地】あま市美和町(みわちょう)、愛西市(あいさいし)、一宮市(いちのみやし)、江南市(こうなんし)、津島市(つしまし)

【特徴】葉と軟白とも食用にできる。葉の色はやや淡い。

【食味】水分が多く柔らかく、甘味がある。

【料理】すき焼き、煮物

【来歴】現在の愛知県津島市(つしまし)越津町(こしづちょう)(旧:海部郡神守村越津地域)が発祥地。江戸時代中期の徳川三代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の時代(1623~1650年)に、同地で栽培が始められたとされる。当時は徳川幕府への献上品として扱われていた。その後木曽川沖積地帯を中心に広く栽培され、現在では、津島市(つしまし)のほか、江南市(こうなんし)、一宮市(いちのみやし)、稲沢市(いなざわし)などでも栽培されている。

【時期】10月~3月

みんなの農業広場「越津ねぎ」

法性寺ねぎ(ほっしょうじねぎ)

【生産地】岡崎市(おかざきし)法性寺町(ほっしょうじちょう)

【特徴】甘く味が濃くて柔らかい。

【食味】甘く濃厚な味わいと柔らかな食感。

【料理】薬味、煮物

【来歴】時は室町時代、愛知県岡崎市南部の矢作川の東に位置する法性寺町にある古刹(こさつ)法性寺(ほっしょうじ)の僧侶が、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)へ修業にいった際、京都のねぎを持ち帰って植えたのが始まりとされる。

法性寺町(ほっしょうじちょう)周辺の土壌が生育条件に合ったことから、長く栽培されてきた。法性寺の歴史は古く平安時代に建立されたもので、ねぎの名前は、和田山法性寺が由来。岡崎市のブランド化推進品目にも選ばれている。

【時期】11月~3月

愛知早生ふき(あいちわせふき)

【生産地】知多(ちた)地域、稲沢市(いなざわし)、愛西市(あいさいし)

【特徴】香りが高く葉柄の伸びが早く、太い。数少ない日本原産の野菜。

【食味】やわらかく、それでいてシャキシャキとした食感。

【料理】煮物

【来歴】ふきは数少ない日本原産の野菜で日本各地に自生しており、平安時代から栽培され食用されてきた。品種数は、愛知早生ふき、秋田ふき、水ふきなどの栽培品種に野生ふきを合わせると200種類以上あるとされる。

愛知県内では「ふき」は、江戸時代から栽培されていた記録があり、「愛知早生」は約200年前に知多郡加木屋村(現:東海市)で自家栽培したのが始まりとされる。現在、栽培されている約7割が「愛知早生ふき」である。

【時期】10月~5月

JAあいち経済連 あいちの野菜「ふき」

渥美白花絹莢えんどう(あつみしろばなきぬさやえんどう)

【生産地】渥美(あつみ)地域

【特徴】鮮やかな緑と新鮮で柔らかな香りがする。

【食味】柔らか

【料理】汁物、和汁物、和え物

【来歴】明治時代末期から渥美郡(現・田原市)一円で栽培されていた。

【時期】4月~6月

十六ささげ(じゅうろくささげ)

【生産地】愛西市(あいさいし)、稲沢市(いなざわし)

【特徴】さやいんげんと似ているが、さやの長さが非常に長いのが特徴。

【食味】火が通りやすく、柔らかく、淡白でさっぱりとした味わい。

【料理】和え物、炒め物、煮物、天ぷら

【来歴】栽培が始まったのは大正時代(1912~1926年)からとされるが、本格的に普及したのは1945(昭和20)年以降。現在の栽培地域は、愛知県北西部(愛西市・稲沢市)や岐阜県南西部(羽島市・本巣市)が中心。福島県や沖縄県などでも栽培されている。

名前の由来は、莢(さや)に16個の豆が入っていることから。

【時期】7月~8月

姫ささげ(ひめささげ)

【生産地】尾張(おわり)地域

【特徴】十六ささげの仲間であるが、さやの先端が赤紫色になることが特徴。

【食味】クセの少ない味わい

【料理】和え物、煮物、炒め物

【来歴】明治時代から栽培。名前の由来は、莢(さや)の赤紫色の先端が上に反り返り、捧げもつ手の形に似ていることから。

【時期】7月~8月

白花千石ふじまめ(しろはなせんごくふじまめ)

【生産地】あま市甚目寺町(じもくじちょう)

【特徴】つる性でさやは淡緑色

【食味】やわらかく適度な香気がある。

【料理】和え物

【来歴】あま市甚目寺地区を始めとする尾張平野で、明治時代から栽培されている。大正時代には50haの栽培があったとの記録がある。近年は、栽培面積が減少している。莢(さや)が千石船の帆の形に似ているからとか、収量が多いからといった理由で「千石(せんごく)」と呼ばれたとされる。

【時期】7月~8月

土田かぼちゃ(つちだかぼちゃ)

【生産地】清須市(きよすし)土田(つちだ)地区

【特徴】大型で肉が厚い日本かぼちゃ品種。甲高(こうだか)で黄色の地に黒の斑紋(はんもん)が入る。

【食味】肉厚でもっちりした食感。甘味が控えめで糖質が少なく、繊維質水分が多いため、ねっとりとした食感。

【料理】スープ、プリン、漬物など

【来歴】明治時代から土田地区で栽培されていた日本かぼちゃ。愛知県の三大かぼちゃとして、縮緬かぼちゃ(大治町、大府市)・早生白かぼちゃと並ぶ品種。かつては高級かぼちゃとして市場での評判も高く、料亭などに販売されていた。土田かぼちゃの種子を保存している農家が市内で見つかったことで、清須市が特産品として保護していくこととし、2007年から復活に向けた取組が進められた。地元農家の協力を得て、3世帯で栽培しているほか、市主催の農業体験塾でも栽培している。また、地域でも漬物からスイーツまでさまざまな加工品を販売している。2023(令和5)年3月に「あいちの伝統野菜」に認定された。

【時期】7月~10月

日本伝統野菜推進協会「産官学連携で地域の名産品を目指せ!-愛知県清須市の伝統野菜「土田かぼちゃ」が奇跡の復活-」

徳重だいこん(とくしげだいこん)

【生産地】名古屋市緑区徳重(とくしげ)地区

【特徴】宮重だいこんの中から選抜した系統を徳重地区で維持。太く短く先端が丸い。

【食味】輪切りにしても均等な形になり、火を通しても崩れにくい。

【料理】煮物、漬物、大根おろしなど

【来歴】1945(昭和20)年代から 50年代まで、名古屋市緑区の徳重地区を中心に生産さ れていた。都市化や生産者の高齢化により、1980(昭和60)年代以降は、生産量が減少し絶滅したと考えられていた。しかし、2016(平成28)年に、某農家の自宅の冷蔵庫で種子が発見された。徳重地区の1つの財産として保存していこうと、2017(平成29)年からJA・生産者が復活へ向けて取り組みを開始された。 2023(令和5)年3月に「あいちの伝統野菜」に認定された。

【時期】12月~1月

あいちの園芸農産

真菜(まな)

【生産地】長久手市(ながくてし)

【特徴】アブラナ科のツケナの一種。ダイコンの葉のような切れ込みのある葉が特徴。

【食味】気温の低い時期になると甘みが増す。花が咲く前のつぼみの状態(なばな)も甘さの中にほろ苦さがあり、美味しい。繊維が少なく食べやすい。調理の際に煮くずれしにくい。

【料理】長久手地区で正月の雑煮(ぞうに)に使用する餅菜(もちな)。おひたし、煮びたし等

【来歴】長久手市内の東部地域では、古くから数軒の農家により「真菜」の自家採種が続けられており、現在までその種子が保存されてきた。1955(昭和30)年代までは、青菜は自家採種するのが一般的であったが、種子の販売流通が盛んになるにつれて、地方独自の青菜は消滅していった。そのような時勢の中で、「真菜」は、数十年にわたり自家採種が続けられ、形質が維持されきた。 現在、地域の農家で種子を分け合い、栽培を復活している。産地直売所での販売や学校給食で使用。菓子等の加工品も開発されている。今後、消費量増加のために、新たな利用法や料理法の開発が課題である。「あいちの伝統野菜」ではないが、長久手市の伝統野菜に認定されている。

【時期】12月~3月頃

長久手市HP「伝統野菜真菜」

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