初夏の空に向かって実る尼崎の一寸そら豆 ~期間限定!この時期しか手に入らない摂津のふるさと野菜「武庫一寸」と「富松一寸」~

一寸豆(いっすんまめ)は、そら豆の一品種です。晴れ渡る五月の空に向かって莢(さや)を伸ばすことから、そら豆と名前がついたと言われます。

兵庫県尼崎(あまがさき)では、日本に初めて渡来したそら豆が1200年もの間ずっと栽培され続けています。この希少なそら豆を年に一度、5月のほんのわずかな期間に、生産地の尼崎市北部の武庫(むこ)・富松(とまつ)地域で手に入れるチャンスが訪れます。

空に向かって伸びる一寸そら豆

莢(さや)に2粒の大粒そら豆

現在、一般市場に出回る一寸そら豆は、「清水(しみず)一寸」や「陵西(りょうさい)一寸」「打越(うちこし)一寸」などの3粒莢のすぐれた育成種(固定種)が主要品種で、鹿児島や和歌山県、愛媛県をはじめ全国で生産されています。

兵庫県尼崎市に残る「武庫(むこ)一寸」と「富松(とまつ)一寸」は、日本に初めて渡ってきた品種で、数あるそら豆の品種の原々種といえるものです。「武庫・富松一寸」は大粒種であり、一つの莢(さや)には2粒前後しか豆ができません。豆の一粒の重さは3~4g、大きさは一寸(3.03㎝)ほどあるため一寸豆の名が付いたとされます。ぷっくりと大きく、福々しい形をしており「お多福豆(おたふくまめ)」とも呼ばれます。食感はホクホクで、食味は優しい甘みがあります。

一寸そら豆の始まりは尼(あま)にあり

一寸そら豆が日本に渡ったのは今から1200年ほど前。聖武天皇時代の729-749(天平8)年8月にまで遡ります。インドの僧侶である菩提仙那(ぼだいせんな)が、中国を経て日本に来られた折に、「王墳豆(おたふくまめ)」を携えて、その豆を出迎えた行基上人(ぎょうきしょうにん)※1に与えて栽培を勧めました。行基上人は、これを摂津(せっつ)の武庫村(むこむら現:尼崎市武庫)の岡治氏(おかじし)に試作させた、というのが日本における一寸そら豆の栽培の始まりとされます。

武庫村のすぐ隣の富松(とまつ)地区にも一寸そら豆が栽培されてきた歴史があり、「富松一寸(とまついっすん)」と呼ばれています。同地区では、約800年前から地元の伝統野菜として作られてきたという説※2がありますが、すぐ隣の地域なので、もっと早くから栽培されていたのではないかと考えられます。

※1行基上人は、668年に河内国(現在の大阪府堺市)に渡来人の家系の子として生まれ、15歳で得度を受けて出家し、仏道修行を経て、民間布教や社会事業に尽力した人です。
※2全国栄養士協会「兵庫県 伝えたい⾏事⾷」

行基菩薩像(有馬温泉)

兵庫県尼崎市(あまがさきし)の北部地域一帯は一寸豆を栽培するのに適した土壌であるとされ、「武庫(むこ)一寸」、「富松(とまつ)一寸」、「尼(あま)一寸」というように、それぞれの地名を冠した一寸豆を栽培してきましたが、これらは名前は違えど同じ品種の一寸豆です。

また、大阪の「河内(かわち)一寸※3」も一説には尼崎の品種が元になっているとされます。
※3「河内一寸」には、ほかに、大阪でかつて広く作られていた「芭蕉成(ばしょうなり)」と呼ばれる品種からサヤに1~2粒しか入らない大粒品種を選抜育成されたものとする説もあります。

武庫・富松地域は、戦前には全国有数の産地となり、明治時代には「富松(とまつ)一寸」が天皇に献上されるほどの特産品となりました。
しかし、1960(昭和35)年頃をピークに都市化が進み農地が減少したことや収穫期間が2週間程と短い品種であることなどから栽培量が激減していきました。

保存・継承への取り組み

近年は、わずかに残された農地で自家消費用として細々と栽培されている状況で、地元でも「幻の豆」とも呼ばれるほど手に入りにくい品種となってしまいました。

現在は、「武庫(むこ)一寸」も「富松(とまつ)一寸」も市場には出荷されていませんが、どちらも兵庫県の伝統野菜や尼崎市の「摂津のふるさと野菜」に認定されており、この歴史ある一寸そら豆を残していこうと生産者や地域の人々が保存・継承のための取り組みを行っています。

<武庫一寸(むこいっすん)>

「武庫一寸」は、尼崎市のJA兵庫六甲尼崎伝統野菜部会で25名の生産者が保存と継承に取り組んでいます。今年度は、5月7日(火)から出荷を開始し、5月7日(火)~10日(金)はJA兵庫六甲塚口支店前にて、対面販売を実施します。期間は2週間ほどと短く、販売場所も地元の店舗でのみの取り扱いです。

◆出荷開始:令和6年5月7日(火)

◆販売期間:令和6年5月7日(火)~10日(金)

◆販売場所:JA兵庫六甲塚口支店前にて対面販売

<富松一寸(とまついっすん)>

「富松一寸」は一度、栽培が途絶えた時期がありましたが、1997(平成9)年に「富松豆保存研究会」が発足し存続活動が行われています。活動内容は、地元農家との共同栽培研究や幼稚園・小学校の子ども達との農業体験、収穫祭などに取り組んでいます。

なかでもユニークなのは、富松神社で開催される「富松一寸豆まつり」です。1992年から始まったこの祭は、年に一度、富松一寸豆を奉納し、地域の発展を祈願するもので、祭の当日には「富松一寸豆」の塩ゆでや福煮(ふくに)が振るまわれます。この時期には、祭で販売されるので購入することができます。

◆祭事:富松一寸豆祭(とまついっすんまめまつり)

◆日時:令和6年5月11日(土)

◆一寸豆即売会 ※整理券配布 午後1時 ~(頒布 午後1時半~2時半)

【5/1速報】本年の一寸豆は、たいへん不作のため、即売会は当日”中止”となる場合があります。

富松神社

尼崎一寸の加工商品も誕生

加工品も登場しており、アイスクリームやオイル漬けが商品化されました。

アイスクリームは、JA兵庫六甲 尼崎営農支援センターの担当の方が「季節を問わず子どもから大人までたくさんの方に楽しんでほしい」という思いから、同市にある高瀬味噌販売株式会社と連携し、武庫一寸と富松一寸の両方を使用したものを商品化したそうです。(今年度の販売日はまだ未定です。)オイル漬けも商品化されましたが、令和6年度は残念ながら販売中止です。

今年は不作の影響でいつもよりさらに希少なそら豆になっていますが、地元の方はもとより尼崎におでかけの方は、この機会にぜひ歴史ある貴重なそら豆を味わってみませんか!?

 

【参考資料】
※1 摂津のふるさと野菜1(尼崎市、伊丹市)
※2 全国栄養士協議会
※3 飴の豊下「応援します!『「なにわの伝統野菜」復活を目指して!』
JA兵庫六甲 尼崎の初夏を代表する味覚!「武庫一寸ソラマメ」販売開始
富松神社のお祭り
尼崎市・富松神社を核とした地域づくりの展開に関する一考察
神戸新聞NEXT 第2部都市のモザイク【3】一寸の豆地産地消、ずっと愛され
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JA兵庫六甲 一寸そらまめやみつきオイル漬け(令和6年度は中止)

 

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