やっぱり美味い!伝説のメロン ~愛知・渥美半島の石井農園5年目の作付けスタート~
メロンの産地で有名な愛知県渥美半島で純系メロンを栽培する男がいる。石井農園の石井芳典さんだ。
かつて渥美半島では、名品と称される「高松メロン」という純系アールスフェボリット種のメロンが栽培されていた。しかし、F1種拡大の波にのまれ、いつしか姿を消した。石井さんは、そのメロンを探し求め、40年間、細々と栽培していた農家を見つけ、種を譲り受けた。2020年春、挑戦が始まった。
その詳しい経緯については、当協会の記事「伝説の在来種「高松メロン」を未来に残したい―愛知・渥美半島の石井農園が栽培の継承に挑む!」をご一読いただきたい。
今回は、今年で5年目を迎える石井さんのこれまでの奮闘ぶりをお伝えしたい。在来メロンを復活させ、市場にその価値を問うた熱き男の物語である。
純系メロン栽培への挑戦
渥美半島の石井農園が、純系アールスフェボリット種高松(商品名:古田メロン)の栽培に着手したのは2020年の春だった。初年度は1,200本作付けした内300本が倒れた。だが、土壌にも地力があったことや、小規模に栽培したことで、予定分は無事に実らせることができた。
「最初の年は誰がやっても、そこそこできるもんだ」と経験の長いプロ農家はいう。実際に良い出来であった。皆が美味しいと言ってくれたし、地域のスーパーや飲食店、メディアも応援してくれた。
しかし、父親は昔懐かしい味であることは認めたものの、一口食べてスプーンを置いた。
高松メロンの隆盛と衰退
アールスフェボリット種は1925(大正14)年に導入された品種1)で、渥美半島でも高級メロンとして1971(昭和46)~1975(昭和50)年頃まで栽培されていた。ちょうど日本の高度成長期の初期である。
渥美半島では1962(昭和37)年に伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部が開業し、1965(昭和40)年には伊良湖岬最先端の海水浴場であるココナッツビーチができた。1968(昭和43)年には19年間の歳月をかけた豊川用水も通水し、これによって農業が飛躍的に発展していく。伊良湖ビューホテルも開業し、観光地としても盛り上がりを見せ始めた。来訪者も格段に増加し、土産にメロンを買って帰る人も多かった。「高松メロン」の評判はすこぶる良く、今でも味を覚えている人は少なくない。
しかし、アールスフェボリット種は、耐候性や病害抵抗性を持たないため栽培がとても難しい。そのため、F1種が開発されると間もなく姿を消した。渥美半島で栽培が盛んだったのは5年間ほどしかなかった。
栽培方法は手探りの2年目
石井さんは、2年目の栽培を控え、師匠以外からも情報を得ようとしたが、当時から50年を経た今、適切な栽培技術や知識を知る人を見つけることはできなかった。地元の種苗業者の若い人は、その存在さえ知らなかった。
そんな時、異色の経歴を持つ人物が連絡をしてきた。小学2年生から100種類以上のメロンを育ててきたというメロン狂の小森田くんだ。彼は、南九州大学大学院園芸学修士課程を修了しており、植物生理学の側面からサポートが得られそうだった。彼と議論を重ね、栽培方法や土づくりを一新した。
2021年、二回目の春が来た。
前年に採種しておいた種子に、薬剤を使わない熱による処理消毒を施して撒いた。毎日、隅々まで点検する。細かく観察し、昨年の轍を踏まないように、収穫量をあげるために自分ができる限りの手を尽くした。
だが、2年目も倒れた。
メロンの苗は根が弱く倒れやすい性質がある。倒れて葉に土がつけば定植後の葉焼けの原因になる。葉は果実生産に最も大切な要素だ。また、浅根性の作物のため、深植えもダメだ。特にアールスフェボリットは根が弱く、根の病気にもかかりやすい。浅くても深くてもダメだ。2)
そんなことは、わかっている。
手は尽くしている。苗は問題ない。成長も順調だ。それでも、収穫2週間前になると木がバタバタと倒れていく。アールスフェボリットの栽培の難しさを思い知らされた。結果、4,000本の作付けに対し、1,000本が枯れた。収穫までたどり着き、商品として出荷できたのは3,000玉だった。
この年も父は一口食べてスプーンを置いた。
孤独と絶望の3年目
小森田くんは就職した。妻も子どもを産んだばかりだ。今期からは、自分一人で乗り越えなければならない。
2年目にやり方を変えて、味があまり良くない方向へ行ってしまった。メロンは、ほんのわずかなことで味が変化することを突き付けられた。しかし、それは希望でもあった。それなら逆に味をコントロールすることもできるのではないかという危険と紙一重の希望だ。
皆が栽培している作物を扱うのであれば、皆の失敗例を集めて研究すれば良い。だが、このメロンは誰も栽培していない。自分だけで試行錯誤しなければならない。農作物の栽培機会は1年に1度しかなく、それが終わってから反省し、翌年に反映させることになるため、軌道修正に大変な労力と時間がかかる。
3年目は正念場だ。プロ農家は「農業は3年ダメだと終わり」だと言う。今年、目標通りに収穫できなければ、その作物から撤退した方が良い。今期はやれること全てやるしかない。全力で取り組んだ。土づくりから種子消毒、水切りの期間に至るまで、微に入り細にわたり、学び、研究し、実践した。
だが、木は倒れた。
朝、圃場に行くと3本倒れている。翌日には10本。その翌日には30本とバタバタと倒れていく。倒れた木を数えるのは苦痛だった。だが、数えておかなければデータが取れない。収穫2週間の木が、日に日に倒れ、腐り、玉が通路にゴロゴロ転がっている。ひどい圃場では、数日間で1200本中300本倒れた。結果、4,000本作付けしたものが半分になった。ここまで残酷な結果になると、プレッシャーは半端ではない。
「枯れた圃場を見たとき『ゲルニカ』が広がっているように見えた」と石井さんは言った。「ゲルニカ」は、自治や独立の気風が強いスペインバスク地方のゲルニカが空爆され全滅したという報を聞いたピカソが描いた色のない白黒の作品だ。
絶望したのだ。やめようと思った。もう家族もいる。このまま我を通すことが家族のためになるのか。ただ意地を張っているだけじゃないか。メロンの味を料理のようにコントロールするなど驕りだったのではないか。挑んだ自分自身にまで疑念がわいてくる。
あれだけやったのに予定していた味と収穫量には届かなかった。「もうこれ続けることができん」と思った。
ブレークスルーの4年目
継続は悩んだ。枯れていく圃場は心底恐ろしかった。農作物を研究するチャンスは1年に1作しかない。これが料理なら、毎晩でも稽古するのに…。
クラウンメロンも現地まで行って研究した。夕張メロンも現地から取り寄せて研究した。種子消毒も昔の資料に書かれていたものを始め、温度や時間をさまざまに試した。接ぎ木も試した。土も土壌医3)を目指すのかと思うほど勉強した。
「このままでは商売にならない…」
だが、止める前に、もう一度だけ、どうしても試してみたいことがあった。4年目の作付けは悩みに悩んだが、2023年春ギリギリで決断した。その年の初夏は長かった。そして、4,000本の作付けに対し、枯れは1,500本にとどまった。何よりも一玉一玉の出来が良い。
父が初めて四分の一玉を食べた。
ようやく、納得のいく「古田メロン」をつくることができた。玉ごとの当たり外れもなくなった。やっと、つかんだ。これなら自分が良しとした味のメロンをお客さんに届けられると思えた。お客さんの評判も良く、食べてくれた人が皆、高評価をくれた。
石井さんに「よく続けましたね」と感心すると、「父親がこのメロンと言ったのがきっかけだけど、やっぱり、もう、このメロンに心底惚れたんですね。そこまで惚れるものって、人生でそう何回も出会えるわけじゃないと思うから、それを大事にするという、そういう感じですかね。ただ、3年目は、それも間違いだったのかなとちょっと思ったぐらい、やっぱり辛かったよね」と苦笑いした。
堅実に取り組む5年目
2024年春、まもなく5回目の作付けが始まる。
「古田メロン」は、一般市場には出しておらず、販路は豊洲市場ドットコムをメインに、ふるさと納税と地元のスーパーや飲食店だ
ふるさと納税の先行予約には、すでに昨年の10倍の注文が来ている。先の高評価が影響しているそうだ。この評価は、品質を追求してきた結果と、応援してくれてきた人やメディアのおかげだという。そして、「これまでは、昔のメロンが復活したという話題性が大きかったと思うけど、これからは、本当に美味しいという味の評価で話題になりたい」とのべる。
メロンは贈答品として用いられることが多く、味よりも外見が重視される面がある。アールスフェボリットの弱点である病気抵抗性に特化して、ウリと交雑させたF1種のメロンは、栽培しやすく、外見も非常によく似ている。だが、味が違う。筆者は、子どもの頃に高松メロンを食べた記憶があるが、ある時期からメロンの香りが変わり、味が水っぽくなった気がした。以来、なんとなくメロンを食べなくなった。
「生産性を追及した結果、高松メロンが淘汰されたように、損得だけだと本質的なものが失われていく。そればっかりの世の中では、少し悔しい」という石井さんの言葉には同感だ。
純系メロンの栽培は厳しいことが多かったが、良いこともあった。メロンで鍛えられた知識や技術を活かし、トマトの収穫量を倍にすることができたのだ。
石井さんは、その経験を踏まえ、「農業学校でも固定種とF1種の両方を栽培すると勉強になるのではないか」と提案してくれた。そうすれば、栽培技術も身につくし、F1種のおもしろさもわかるのではないかという。そんな彼の夢は、自分の品種を育種することである。石井農園の挑戦はまだまだ続きそうだ。
ネット通販が普及した今は生産者の顔が見える時代である。特別な農作物は、誰が作ったかで選ぶようになりつつあるのを感じる。ぜひ、誠実にメロンに向き合った石井農園の「古田メロン」を味わっていただきたい。
【参考資料】
1)杉山充啓「キュウリおよびメロン遺伝資源の保全と利用」(2018)『農業および園芸93巻10号』p. 866-871 養賢堂
2)道立中央農試 園芸部 沢田一夫「良質メロン栽培技術のポイント」(1979)雪印種苗株式会社
3)一般財団法人日本土壌協会主催「土壌医検定試験」公式サイト
【協会関連記事】
伝説の在来種「高松メロン」を未来に残したい―愛知・渥美半島の石井農園が栽培の継承に挑む!