伝統野菜をどう支えるか?「シビック・アグリカルチャー」の視点で考えてみる

「三里四方の食によれば病知らず」や「三里四方の野菜を食べろ」という格言があります。三里とは距離のことで、半径約12㎞の範囲でとれた、いわゆる「地物(じもの)」を食べることが健康に良いという意味です。

ところが現代は、地物ではなく、遠く海外の農産物が小売店に並ぶ時代です。都会では三里四方には、すでに農地が無いところもあり、そのような場所では地物を手に入れることは、もはや出来ないでしょう。

今回は、地域から遠く離れてしまった「農」と「食」を再び地域に戻し、伝統野菜や地方品種を地域で支えるためにはどうしたら良いかを、トーマス・ライソンの著書「シビック・アグリカルチャー:食と農を地域にとりもどす」を参考にして考えたいと思います。


 トーマス・ライソンのプロフィールは、日本のWikipediaに見当たりませんでしたが、「食と農のローカリゼーション」を提唱したアメリカの著名な農村社会学者です。米国Wikipediaの“Civic Agriculture”の項目で紹介されています。

【参考資料】

Civic Agriculture

農業から始まる文化と文明

「シビック・アグリカルチャー」の内容に入る前に、少し私見を交えながら言葉の意味を確認しておきたいと思います。 まず、 “Agriculture”(アグリカルチャー)は「農業」という意味ですが、文化という意味の“culture”が語源とされます。

農業は、人類の基本的な生活様式であり、食料を生産し、社会を支える根本的な経済活動です。人々は、さまざまな作物の栽培や家畜の飼育を行い、食料源を確保するために集落や共同体を形成します。農業による食料生産の安定と増加は、共同体の成長と発展に寄与します。そして、文化や伝統を形成し、人々の暮らしに深く根づいていきます。

やがて、人々が社会的・文化的に進歩し複雑な組織を持ち、文化的な枠組みを超えてくると、文明“Civilization”(シビリゼーション)が発展し始めます。”Civilization“の語源は、”civil“=「市民の,市民的な」が元になっています。”civic“も、同様の意味ですが、”civil”よりも、さらに地域に関連する人々の義務または活動に関連するニュアンスで使われます。

文明の特徴は、都市の形成や技術の進展、知識の蓄積、法律・政府の発展などであり、まさに市民化された状態です。 農業の発展は都市形成の基盤となり、文化から文明を育みますが、文明は文化を変容させる要因になります。

文明が発達しすぎた今、文化も変容せざるを得ない状況にあります。衰退する文化があると同時に、残すべき伝統や文化が新たな文化として再構築される流れもあります。 多くの伝統野菜や郷土料理は地域文化として、衰退と再構築の間で揺れていると言えます。

私たちは伝統野菜を文化として残していくべきなのでしょうか?それとも衰退するに任せるのでしょうか? もしくは、新たな価値として再構築していくべきなのでしょうか?

現在、伝統野菜を継承するために行われている活動は、「シビック・アグリカルチャー」と言われる概念と重なる点が多々あります。そこで、今回はその概念を元に、伝統野菜の市民活動における貢献と批判を考察したいと思います。

シビック・アグリカルチャーとは何か

「シビック・アグリカルチャー」は、市民社会(civic)と農業(agriculture)が結びつき、地域全体で協力して持続可能な発展を目指す概念で「市民農業」とも言われます。農業活動を通じて市民が協力し、地域社会を形成・発展させる取り組みや価値観を指す意味があります。

特に地域に根ざした農業や食料生産が地域社会の社会的・経済的発展と密接に結びつき、社会参加や地域社会の発展に寄与することを目指す点が強調されています。市民農業に関連するコミュニティ支援型農業(CSA)、ファーマーズマーケット、農業特区、代替食品店、職人料理、生活協同組合などのビジネスモデルも含まれています。

まずは、シビック・アグリカルチャーに関するいくつかの主要なポイントをまとめてみました。これに基づいて伝統野菜への取り組みの貢献と批判を考えていきたいと思います。

シビック・アグリカルチャーの貢献

【地域社会への貢献】

農業者が地域社会に積極的に参加し、地域の発展に貢献することがシビック・アグリカルチャーの一環です。これには地元の農産物市場への参加や地域の食料供給に寄与することが含まれます。

【教育と啓発】

農業に関する知識やスキルを共有し、地域社会全体の教育と啓発に寄与することを促進します。これには農業のワークショップや学習イベントの開催が含まれます。

【持続可能性と環境への配慮】

持続可能な農業慣行や環境への配慮を重視します。地域社会において、地元の環境に対する責任を持ちつつ、資源を効果的に利用することが求められます。

【地域の共同体感覚】

地域社会全体で共有される共同体感覚を形成します。これは農業者や市民が協力して取り組み、共に成長していく姿勢を示しています。

シビック・アグリカルチャーに対する批判

当然ながら、この活動を批判する意見もあります。シビック・アグリカルチャーに反対する人々は、地域社会が農業に参加しない理由として以下のような批判を行っています。

【規模の問題】

伝統野菜の栽培は、しばしば小規模で地域的な取り組みが行われています。これにより効率性や生産性が低いケースがあります。大規模な商業農業と比較して、需要に応じた供給を確保するのが難しい場合があります。

【経済的持続性の疑念】

持続可能な収益性を維持するのは難しいという意見もあります。特に地域の需要だけで伝統野菜の栽培が成り立つのかどうか、また生産者が生計を立てるには十分な収入が得られるかどうかが疑問視されることがあります。

地域化や持続可能性といった現代的な切り口に焦点を当てているにも関わらず、生産は相変わらず需要と供給の経済慣行に依存しており、農家と消費者を結びつける産業部門(市場、加工会社、小売店、飲食店など)の参加がなければ、流通が成り立たないのが、ほとんどです。現代は、ネット通販も普及していますが、個人農家が個人販売を行うのは労力的に並大抵ではありません。

【地域主義の限界】

地域的な食料生産に重点を置くことで、品種の多様性の幅が狭くなったり、他地域との流通の問題が生じたりする可能性があります。また、地域主義の考え方が、他地域や他国の農産物に対する無関心を引き起こし、国際的な貿易や協力関係を阻害する可能性もあるという意見もあります。

【技術の無視】

伝統野菜の栽培は、しばしば伝統的な方法や有機栽培を重視しますが、これにより近代的な農業技術や革新が排除される可能性があるという意見もあります。効率性や生産性の向上に役立つ新技術や遺伝子組み換え作物などへの門戸が閉ざされる可能性があります。

【社会的包摂の欠如】

伝統野菜が一部の特定の社会階層(富裕層など)や地域に焦点を当てている場合、他の人々や地域を入り込ませない可能性があります。特に経済的に弱い地域や少数派のコミュニティが支援を必要としている場合でも不十分な対応しかできない可能性があります。

また、起業家精神を育む中で、農業の実践が差別化マーケティングの手法として行われるがあります。農作物を差別化する場合、農家はそれぞれの市場内で競争するために、特定の農業慣行に関する情報の拡散を制限します。いわゆる品種や栽培技術の門外不出といったものです。

また、伝統野菜の目標の 1 つに農家を地域社会に結びつけることを目指す場合がありますが、実際にはそうではなく、農家は依然として社会的および地理的に孤立しているため、両者の分離がさらに進むと主張する人もいます。 これらの批判は、伝統野菜への取り組みの場合、品種・地域・農産者によって多様であることを考慮する必要があります。

伝統野菜とシビック・アグリカルチャー

伝統野菜の生産農家や現場は、まさにシビック・アグリカルチャーのフレームワークを内包しています。それぞれの項目について現状を見ていきたいと思います。

【地域社会への貢献】

道の駅など地元の農産物市場への出品などにより、特産物として地域活性に寄与している地域野菜や伝統野菜は数多くあります。しかし、地域の食料供給に寄与するまでには至っていないことが多く、むしろ、他の主要農産物に牽引してもらっているのが実情です。

【教育と啓発】

伝統野菜を通じて、農業体験等のワークショップや学習イベントの開催も行われており、農業に関する知識やスキルを共有したり、地域文化を学ぶ機会になったりして、地域社会への教育と啓発に寄与しています。

しかし、現状の規模や参加者は多いとは言えません。今後、学校給食や子ども食堂などの場で教育や啓発の機会を増やす必要があります。

【持続可能性と環境への配慮】

伝統野菜の栽培は原初的な方法であり、基本的には環境に配慮されたものが多く、資源は効果的に利用されています。

しかし、より広範囲の持続可能性という点では、農家の高齢化による栽培継続の不能や、効率化された農業に押されての撤退などにより、栽培品種数や量は減少傾向にあるのが実情です。

【地域の共同体感覚】

これについては、産官学が連携して伝統野菜の復活を目論んだり、地域野菜の旗印にしてイベントを行ったりしており、地域における共同体感覚を構築するのに役立っていると思われます。

経済的持続性がカギ

では、批判に対しての現状は、どうでしょう。

【規模の問題】

確かに小規模で地域的な取り組みをしているところが多いですが、これは小規模を重視しているというより、過疎化等により、そうせざるを得ないケースがほとんどです。そのため、批判の通り、効率性や生産性が悪く、需要に応じた供給を確保するのが難しい面があります。例えば、地域の学校等の給食に伝統野菜を使うことになったとしても、それを賄えるだけの供給量を一度に確保できないこともあります。学校給食よりも子ども食堂などで、食育教育を伴った啓発が良いのではという意見も聞かれます。

【経済的持続性の疑念】

伝統野菜普及における最大の問題点は、経済的持続性が成り立つかどうかです。

地域の需要だけで成り立つかどうか、また生産者が生計を立てるには十分な収入が得られるかどうかという点については、批判の通り疑問視されます。そして、その点は、どうしても需要と供給の経済慣行への依存からは抜け出せず、(補助金などで保護してもらえれば別ですが…)需要にコントロールされることになります。

経済的なインセンティブには多大な影響力があります。安定的な需要により、経済的持続性が見込めれば、伝統野菜を栽培する農家は増加する可能性があります。

また、農家と消費者を結びつける産業部門の参加も重要です。現代は、ITの普及により、農家と消費者が直接に結び付くことができたり、通販サイトがあったりするので、販売形態も変化してきています。しかし、伝統野菜で言えば、高齢の生産農家が多く、ITを使いこなせなどにより、中間流通の存在を必要としています。

また、農家と消費者が直接に結びつく場合、受注から発送までを一農家で行うのは負担が大きすぎます。地域や品種によっては組合がその役割を担っているところもあります。 伝統野菜普及における最大の課題は、この経済的持続性の仕組みを構築することではないかと考えます。

【地域主義の限界】

地域的な食料生産に重点を置くことは、食料自給率の低い我が国の現状では、むしろ重要なことだと思われます。地域主義に立ち返り、足元の農業を固めることの方が食料安全保障としても優先されると考えます。批判の指摘に反し、現状の方が特定の品種への画一化が進み、農作物の多様性は失われています。

【技術の無視】

伝統野菜は、伝統的な栽培方法技術や有機栽培を重視しますが、これにより近代的な農業技術や革新が排除される可能性はあるのでしょうか。この点については、把握できていないので、わかりません。しかし、激しい気候変動の中でも適応している伝統野菜が、なぜ、適応できるのかといったことなどは、まだ判明していません。

個人的には、遺伝子組み換え作物やゲノム編集作物などへの門戸は閉ざされたままで良いと思っています。なぜなら、そのような品種こそ、企業の独占品種となり、農家は毎年、種苗を購入しなければならず、また、企業のサジ加減一つで価格が高騰したり、販売が中止になったり、蓄積した農法を変える必要が出るなどのリスクもあるからです。(種苗メーカーが販売した新品種が初年度は良く栽培できたため、次年度に多くの農家が導入したものの天候によって栽培不良となり多くの農家が痛い目にあった事例や品種に対する経験値がないため天候不順への対応が難しく栽培不良になる事例も聞いています)

ゲノム編集農作物が我が国の農業に、どれほど貢献するのかをもっと明確にすべきでしょう。 伝統野菜のように誰もが交換し合い栽培できるタネを止めて、誰かの手にタネをゆだねてしまうことは想像以上に恐ろしいことだと思います。 農業は、本来は、もっと身近なものであることが必要です。いざとなった時に自給できるものであり、持続性があるものでなければいけないと思います。長い年月を自然と共生してきた伝統野菜には、そのポテンシャル(潜在能力)があります。だからこそ、研究用にジーンバンクで保存するだけでなく、タネの供給量の何割かは毎年、自家採種して栽培をしタネを循環し続けなければいけないと思います。

【社会的包摂の欠如】

伝統野菜が一部の特定の社会階層や地域に焦点を当てている場合、他の人々や地域を入り込ませない可能性があるという指摘については、確かにその側面はあります。しかし、どちらかというと経済的に弱い地域や支援を必要とする少数派のコミュニティの方が、伝統野菜を起爆剤として地域を活性化しようとしている傾向が見受けられます。

また、伝統野菜の品種は、批判にあるように、栽培技術を秘匿したり、タネを門外不出にしたりする農家や地域もあります。しかし、この行為がマーケティング手法として差別化につながる効果があることも事実でしょう。経済慣行に従うのであれば、地域性を特徴とする伝統野菜の場合、この方法は必ずしも否定されるものではないと考えます。ただし、シビック・アグリカルチャーの概念に基づいた場合は、「タネの交換会」などのように、より開放的な方向性を指向すのが良いとされます。

シビック・アグリカルチャーの目標の 1 つである「農家を地域社会に結びつける」ことについては、できている地域とそうでない地域があります。全国的に見た場合、農業が盛んな地域ほどF1種に席巻され、伝統野菜は残っていない傾向が見受けられます。

また、そのような地域では大量生産型の慣行農業が行われているため、地域における栽培品種の多様性は少ない傾向がみられます。同時に広島県の伝統野菜である「広島菜」のように広島近郊7大葉物野菜になっているものもあります。特産農作物になる品種もあれば、消滅してしまった品種も多々あり、地域間の差が大きいといえます。

社会的および地理的な孤立という点についてはITの普及によりおおむねカバーされており、その問題の解決の手立てはすでにあります。農家と地域社会が分離するとすれば、人口の減少や物理的距離といった他の要因によるものが多いのではないかと想像されます。

文化と文明の折り合い

ということで、伝統野菜をシビック・アグリカルチャーの概念で見た場合、効果の面では、実現するための工夫が必要です。

批判については供給量の確保や経済的持続性がカギとなります。それ以外は、著書が書かれた時代とは異なり、ITの普及によるビジネス環境の変化やゲノム編集技術の進歩による種苗メーカーの寡占化など、新たな条件も現れており、農業の方向性も多様化しているため、さらなる議論が必要でしょう。

今後、伝統野菜に関わる文化と文明は、どう折り合いをつけていくのでしょうか? 願わくば、地域農業や特産農作物の中に伝統野菜が組み込まれ、新たな価値を構築しつつ、活発に継承されていって欲しいと思います。

【参考資料】

Thomas A. Lyson‘Civic Agriculture: Reconnecting Farm, Food, and Community (Civil Society Series)’(2004)Univ Pr of New England; New版 トーマス・ライソン著 北野 収訳「シビック・アグリカルチャー 食と農を地域にとりもどす」(2012)農林統計出版

JA.com【鈴木宣弘:食料・農業問題 本質と裏側】観光業界が動いた地域農業振興プロジェクトに希望

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