名古屋にんじん物語 ~仲買人50年の記憶から見る「産地」と「農」の変遷 ~
農産物が食卓に届くまで
今回は、名古屋市中央卸売市場という農産物の流通のど真ん中で、五十年余り仲買人として仕事をしてきた坂川典夫氏にお話をうかがってきました。
坂川氏は、愛知の伝統野菜構築メンバーであり、「あいち在来種保存会」の顧問でもあります。在来種が中心だった頃から市場に携わってきた坂川氏が担当してきた名古屋のにんじんの歴史と市場の変遷の物語をぜひ、お読みください。
市場流通のしくみ
本編に入る前に、市場流通のしくみと卸売市場の役割を知っていただきたいと思います。
私たちが食べる野菜は、畑から食卓に届くまでに、リレーのバトンを繋ぐように多くの人の手を経ています。
基本的には、「生産者」である農家さんが栽培・収穫して箱詰めした野菜は、地域の農協(JA)などの「出荷団体」に集められ、そこから「卸売(おろしうり)市場」に運ばれます。
卸売市場では、「一次卸(いちじおろし)」である「卸売業者(大卸)」が、産地から大量に集荷した商品を「仲卸(なかおろし)業者」へ売ります。「仲卸業者(仲買人)」は「二次卸」の役割を担い、「買出人」と呼ばれるスーパーのバイヤーや八百屋、飲食店に商品を小分けして売ります。

作成:日本伝統野菜推進協会by Nano banana
「売買参加者」は、仲卸業者と同様にせりに参加し、卸売業者から商品を購入することができる一般小売業者、加工業者などです。「関連事業者」は、市場内において、市場機能の向上や市場の充実を図るために、各種事業を特に認められた事業者(運送業・荷役業、倉庫業など、卸売市場に直接寄与する事業者や文房具店、飲食店、床屋、発泡スチロール等の包材店など)のことです。また、「仲卸業者」、「売買参加者」、「買出人」を総称して「買受人」と言います。
卸売業者と仲卸業者の違い
このように市場流通の入口は卸売市場にあります。ここで、注目してほしいのが「卸売業者」と「仲卸業者」の立ち位置の違いです。
「卸売業者」は、農家や出荷団体などの産地から商品を大量に集荷し、市場に供給する役割を担います。集荷した商品を卸売市場内で「仲卸業者」や大口の「売買参加者」に対し、競りや入札を通じて販売することが仕事です。立ち位置としては、生産地側と言えます。
「仲卸業者(仲買人)」は、買い付け(セリ落とし)た商品を小売店や飲食店などの実需者のニーズに合わせて小分け(分荷)し、配送することが仕事です。そのため、「仲買人」は、品質を見極めるための専門的な商品知識と目利きの力を持ち、スーパーや八百屋等の小売店の小口需要や細かな配送ニーズに対応し、きめ細やかな流通の連携を担います。
卸売業者と仲卸業者の主な違い
| 項 目 | 卸売業者(荷受) | 仲卸業者(仲買人) |
| 立 場 | 生産者(農家)の代弁者 | 買い手(小売・飲食店)の代弁者 |
| 主な役割 | 全国から集荷し、品物を市場へ卸す | 品物を買い取り、小分け・選別して販売する |
| 誰から仕入れるか | 生産者や農協など(委託される) | 卸売業者から(セリや相対で買う) |
| 誰に売るか | 仲卸業者、売買参加者 | 八百屋、スーパー、飲食店など |
| 収益の仕組み | 販売金額に応じた「手数料」 | 仕入れ値に利益を乗せた「転売益」 |
| 主な使命 | 「全量」をさばき、産地を支える | 「質」を見極め、顧客の好みに応える |
作成:日本伝統野菜推進協会
近年は、卸売市場を通さずに、生産者や出荷団体から直接にスーパーマーケットや生活協同組合などへ出荷する「市場外流通(産直など)」や、宅配便などの発達で、生産者から直接消費者に届けるルートも増えています。しかし、都市部の膨大な食卓を支えるためには、今でも市場の果たす役割は極めて大きいのです。

名古屋市中央卸売市場本場
「競り」の熱気あふれる昭和の卸売市場
高度経済成長とともに始まった市場人生
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回お話をお伺いした坂川氏が名古屋市中央卸売市場の卸売会社(荷受)の丸協青果株式会社に入社したのは1967年12月でした。
今から半世紀前、ちょうど日本の人口が一億人を突破した1967(昭和42)年は、前年までの不況(昭和40年不況)を脱して「いざなぎ景気」が本格化する時期でした。
当時の市場は、今よりもずっと「荒々しく、泥臭い場所」でした。現在は、市場のシステム化が進み、ずいぶん静かに取引が進むようになりましたが、当時は場内のそこかしこで「競り」が行われ、市場全体が活気に溢れていました。
市場の「競り」とは、卸売業者が、仲卸業者などの買受人に、公開の場で商品の買い値を競争させて最高価格をつけた人に売る取引方法です。卸売業者である競り人が、台の上に立ち、その周りを仲卸業者や売買参加者が囲んで、符丁と独特の手サインである「手やり」で取引を行っていました。
坂川氏は、当時、競り人をしており、にんじんの競りも担当されたことがあるそうです。
「あの頃、愛知県はにんじんの一大産地だったんだわ。全国的に見ても、生産量はトップクラスだったと思うよ。」
そのにんじんを競り人達の威勢のいい掛け声が響き渡る中、仲買人たちは価格を競り合ってきたそうです。
「土の匂い」が充満する市場
当時は、野菜や果物は鮮度を保ち、乾燥を防ぐために土がついたままの状態で「産地箱」と呼ばれる木箱や麻袋などに詰められて出荷され、裸売りされていました。場内には、そんな土付きの野菜に溢れていたそうです。もちろん、そのほとんどが「在来種」であり、にんじんも香りの強いものが、市場の棚に堂々と並んでいました。
やがて、スーパーマーケットの普及に伴い、急速に「小分け包装」や「ダンボール箱」へ移行していきました。高度成長期の真っ只中の昭和40年代は、青果市場においても「卸売市場法」が改正されるなど、公的な中央卸売市場の機能強化が進む過渡期でした。
1971(昭和46)年、坂川氏は丸協青果を退職し、名古屋市中央卸市場の仲卸会社である加野青果株式会社に移ります。いよいよ、目利きとしての力が試される仲買人としての人生が始まることになります。

八事五寸にんじん 写真:あいち在来種保存会
名古屋東南部に広がるにんじんの産地
当時のにんじんは、当然のことながら在来品種が中心でした。1970年代に名古屋で生産されていた品種のほとんどは「黒田系五寸にんじん」と言われるものです。現在、「あいちの伝統野菜」として知られる「八事(やごと)五寸にんじん(名古屋市)」、「碧南鮮紅(へきなんせんこう)五寸にんじん(碧南市)」「木ノ山(このやま)五寸にんじん(大府市)」も、この系統の品種です。
名古屋市内の東南部は、にんじんの一大産地で、天白(てんぱく)区野並(のなみ)や菅田(すげた)地区で生産されていた「天白人参」、昭和区八事で今でも生産されている「八事人参」、現在の瑞穂区弥富(やとみ)地区で生産されていた「弥富人参」などが有ったそうです。
1970年頃の名古屋および近郊のにんじんの産地
| 品種名 | 八事五寸人参 | 木ノ山
五寸人参 |
碧南鮮紅五寸人参 | 稲沢
五寸人参 |
|||
| 呼 称 | 天白人参 | 八事人参 | 弥富人参 | 木ノ山人参 | 碧南人参 | 稲沢人参 | |
| 共同出荷 | 天白農協 | 個人出荷 | 個人出荷 | 碧南市農協 | 個人出荷 | ||
| 地 区 | 野並 | 菅田 | 八事 | 大府市 | 碧南市 | 稲沢市 | |
| 下山村 | 弥富等※ | 木ノ山 | |||||
※弥富等には、植田人参、島田人参、平針人参、中根人参などを含む
作成:加野青果(株)果実部 参事 坂川典夫
なかでも、「天白人参」は、天白農協による共同出荷で圧倒的な量を誇っており、野並・菅田といった地域ごとに100人近い生産者がいたそうです。ほかにも天白区には、植田人参、島田人参、平針人参、中根人参など、現在のバス停名+人参といっても良いほど各地区で生産され、地域に根ざしていたそうです。
このことから、市場では総称して「天白人参」と呼んでおり、愛知県で伝統野菜として認定する際にも「八事人参」ではなく、「天白人参」の総称とすべきだったのではないかと坂川氏は当時を振り返ります。
八事を中心とする水に恵まれた丘陵地帯
1970年代の八事周辺は、水に恵まれた農業に適した土地でした。開発が急速に進む一方で、谷筋にはまだ多くの自然な池や小川が残されていました。
八事から瑞穂区・昭和区へ下る谷筋には、山崎川の源流となる小川が存在していましたし、八事の南東側の八事日赤、山手通、表山、天白区の菅田地区には、天白川に流れ込む数多くの湧き水や小川があり、谷筋の斜面下には造成された溜池が多くありました。天白区の平針原緑道(ひらばりはらりょくどう)や菅田緑道(すげたりょくどう)などの周辺は今でもその面影を残しています。
これらの水は、農業用水として利用されていた歴史があります。当時の愛知の人参の出荷形態は、泥を落として水洗いし、10kgのビニール袋に人参の頭を外向きに揃え、乾燥を防ぐため盃に2~3杯の水をいれて出荷されていました。そのため、大量の水が必要でした。豊富に湧き出る谷筋の水は、収穫後の水洗いに利用されました。人参名にバス停ごとの地名を冠したものがあるのは、その支流が豊富に流れていた土地土地で人参が生産されていたからだと推察できます。

現在の八事天白渓下池公園 写真:PhotoAC 雀と猫氏
下山村の生産者に「農」を教えられた日
これらの生産地の中でも、特に品質の良いにんじんを出荷していたのが、山崎川近くの下山村(現・下山町あたり)だそうです。この辺りは丘陵地で陽当たりと水はけが良くて、にんじんを作るのに非常に恵まれた土地で、品質がとても良く、市場でも高い価格で取引されていたそうです。
この下山村には、坂川氏を可愛がってくれた生産者のおばあさんがおり、苦学していた坂川氏に「よう頑張っとるな」と声をかけてくれる方だったそうです。ある日、坂川氏が出荷のお願いで畑を訪ねた時のこと、その方から「農」の真髄を教えられたそうです。この時のお話は、どうしても坂川氏が語ったままにお伝えしたいので、ほぼ、そのままお伝えします。
「その農家を訪ねたら、『おばあさんは圃場におるから、そっち行って』っていうもんで、道聞いて。で、圃場行ったんですよ。 そこで、おばあさんが俺に言ったのね。
『坂(さか)さん、あんたは、私の人参五分で売るでしょ。でもね、この人参ね、種からこの人参になるまで半年かかっとるの。それをね、五分で売られるというのは非常につらい』と。もっと大切に扱ってくれって、そういう意味だと思うんですけどね。
で、俺がもっとショックを受けたのは、そのおばあさんが人参の葉っぱのとこを持って縄を丸めてタワシにして、近くに流れている小川で 1本ずつ洗ってるの。手を見たらね、グローブなんだ。もう。あかぎれだらけで、ポンポンに腫れちゃって。指先まで。
俺、その手を見た時に、初めて『農』というものがどういうものなのかっていうのをね。そのおばあさんの手が教えてくれた。
だから、まあ確かに今は機械化されたりして、洗うのも機械で洗うし、そんな冷たい作業もないか知らんけども、農の基本っていうものをその手が教えてくれたね。本当にね、俺はその時に『農』ってどういうものなのかって思い知ったっていうかね、本当思い知らされたと思うんですよ。だから、もうこれからは、おろそかに競ってはいかんと思ったもんね。あの手はね、いまだに忘れんもん。なんかあった時に、あの手を思い出せば何でも耐えられると思うぐらい。あの頃、苦労して貧乏しとったけど、あの手見たらね、もうこの人にはかなわんと思うぐらい…。」
この体験は、坂川氏の農業に対する考え方を根本的に変えたそうです。
「土の香り」から「規格の統一」へ
スーパーマーケットの台頭と「安定」への要望
やがて、1975(昭和50)年代に入ると市場の風景にさらなる変化が訪れます。
全国にチェーン展開するスーパーマーケットが、市場の最大の顧客となっていったのです。スーパーが求めるのは、毎日同じ品質の野菜が、決まった量、決まった価格で棚に並ぶこと。しかし、天候や収穫量に左右される「競り」による取引では、価格が乱高下し、安定した供給が難しくなります。
「競りは面白い。けど、スーパーさんからすれば『明日の特売のチラシに載せるにんじんの値段が、明日の朝まで決まらん』というのは困るわけだわ」
こうして、事前に卸売業者と仲卸業者が話し合って価格と数量を決める「相対(あいたい)取引」が、競りに代わって主流となっていきました。安定供給のニーズは、市場の仕組みだけではなく、農産物そのものにも影響していきます。大量生産・大量消費の流れから徐々に、「規格」に合うかどうかが重視され、「形が揃っているもの」「棚持ちが良いもの」が優先されるようになっていきます。
プラザ合意と農業構造の転換
1975(昭和50)年から1985(昭和60)年にかけて、日本は高度経済成長から安定成長へと移行しましたが、1985年のプラザ合意により急速な円高が進み、輸入農産物の価格が相対的に低下しました。この円高は、すでに進んでいた貿易自由化の流れを加速させ、日本の農業を本格的に国際競争の中へ組み込む契機となりました。
もともと日本の農業は、家族経営や兼業農家を基盤としていましたが、昭和中期以降の機械化による省力化が進む一方で、それ以上のスピードで若年層の流出と高齢化が進み、離農が加速しました。こうした中で、農業は規模拡大による効率化を目指す動きと、地域資源を活かした高付加価値化(特化・ブランド化)を志向する動きへと分化していきました。
政策面でも1970年代から始まっていた生産調整の流れが強まり、日本の農業は「食糧増産」から「需給調整と構造転換」へと大きく方向を転換していきました。
ハイブリッド品種への移行
ちょうど、この頃、名古屋のにんじんにもF1種が導入され、大きな転換期が訪れます。
F1種というのは、別々の品種を掛け合わせて良いとこ取りをした「ハイブリッド」「一代雑種」の種です。日本で初めて開発されたにんじんのF1種は、1963(昭和38)年にタキイ種苗株式会社が発売した「向陽五寸(こうようごすん)」でした。しかし、「向陽五寸」の発売当初は、まだ自家採種をしており、それほど広まらなかったそうです。
そこから20年余り経た1985(昭和60)年に「向陽二号」が発売されました。この時、大きな転換が起こったのです。坂川氏は「日本中が『向陽二号』に変わった」と話します。
「向陽二号」は、人参臭さがない、甘い、芯まで赤い、市場性の形がいい、色艶もいいという当時の市場が求める規格品の要素を全て兼ね備えていたのです。

青空とにんじん畑 写真:PhotoAC まめぞう氏
消費者ニーズに応えるにんじん
固定種のにんじんを販売していた頃は、子供の嫌いな野菜ベスト 3に必ずにんじんが入ってたそうです。坂川氏が売っていた頃の人参は、青臭い、薬っぽい、土臭いなど独特の臭みがあったそうです。人参はセリ科の植物のため、特有の天然香気成分があるのが原因です。皮やその直下に、その香気成分が多く含まれるため、新鮮なものほど香りが強く、切る際に匂いが強まることがあります。坂川氏が所属する「あいち在来種保存会」の代表世話人である高木氏も、しばしば「こんな人参臭いやつ食えるか」と消費者に怒られたと言っていたそうです。そのため、今の食味に合った品種改良がなされてきたのだそうです。
「それはね、やっぱり口の問題だもん。だから、時代が変ればと好みも変わるから」
と、坂川氏は話します。
そうした市場のニーズに合致した良いとこ取りの「向陽二号」は、日本中に広がっていき、今では、にんじんは、子どもの好きな野菜のベスト 5ぐらいに入っています。
小学館が行ったアンケートによると、1位はとうもろこし、2位トマト、3位さつまいも、4位にんじん、5位かぼちゃという結果でした。1位のとうもろこしは、厳密には穀物なので、実質、にんじんは3位ということになります。「向陽二号」の普及を契機に、嫌いな野菜ベスト3が好きな野菜ベスト3になるという大逆転となったのです。
計画生産を支えるF1種
農家がF1種である「向陽二号」に転換した理由を坂川氏は次のように説明します。
「F1種の良いところは、栽培しやすい品種を選択でき、安定した品質と収量の確保ができるところ。最大の利点は『耐病性』が高い点です。
『収量』についても多収性、早晩性、耐寒・耐暑性があります。F1 品種の特性は、計画がしやすい点が大きく、作型と受注先のニーズに対して計画性を持ってやることができます。そのため、スーパーと契約する時の何トンこの時期にというのが計画しやすいです。固定種だと保証ができません。それだけの品質のものが出るかどうかもわかりません。
『経済性』については、固定種は採種作業を交雑しない場所で行わないといけないため、場所を確保するなどの手間かかります。それがF1品種の場合だと、お金出せば種が買えるし、下手したら苗で買うことができる。生産者さんからすれば、とても楽だと思います。人参だけの農家でめちゃくちゃ広い面積があると採種は大変だと思います。北海道で考えれば向こうが見ないほどの広い畑で、その量の種なんか取れないでしょ。
採種の手間が省ける、苗の購入が可能などの点から『経済性』は、F1種の方が有利だと思います。自家採種だと、畑の真ん中で他のものが交雑しにくいように圃場の確保をしなくてはいけないけど、F1種はそれをやらなくて済みます。ただし、種と苗の購入費がいつも常にかかるというか、永久にかかることになります。種の価格が高くなることもあれば、自家採種の方が安いかもしれない。けれど、総合的に見て、例えば、人がいないとか、そういうことを考えると、人件費が取っていくわけだったらF1に使った方が安いとか、そういうことにもなってくるんじゃないですかね。」
F1種と固定種・在来種との特性比較
| 特性 | F1種 | 固定種・在来種 |
| 耐病性 | 高い | 低い |
| 収量 | 多収性、早晩性、耐寒・耐暑性 | 収量の保証が困難 |
| 市場性(品質) | 形、食味が安定している。
個性が出にくい。 |
形や食味が安定しない。
個性的な味わいがある。 |
| 計画性 | 作型、実需先ニーズに対応可能 | 播種・収穫時期が決まっている |
| 経済性 | 採種の手間が省ける、苗での購入が可能。
種と苗の購入が毎年必要。 |
形質を維持するための母本選抜や交雑しにくい採種場の確保が必要。 |
作成:加野青果(株)果実部 参事 坂川典夫
「文化」として紡ぐ在来種の価値
市場の現実と守るべき文化財
市場ニーズにおいて、F1種が圧倒的に有利であり、固定種・在来種である伝統野菜は姿を消しています。
「これらの理由が、伝統野菜がなくなっていく理由です。これは、十分大きな理由です。
伝統野菜もいいのですが、プロ農家が生産するには、市場性・経済性の面で、『ちょっと劣る』ということです。結局、金になるかならないかなんです。最終的には生産者が儲かればやるという話です。」
と坂川氏は述べます。やはり、プロとして農業をやる以上、経済合理性は必要です。
しかし、このような事情や状況を嫌というほど知っているにも関わらず、坂川氏は「あいち在来種保存会」の顧問として活動されています。その理由を尋ねてみました。
「伝統野菜をなんで残すんだ?って言われるとちょっと困るけど、やっぱり後世に残さなあかんっていう、そういう義務感みたいなやつがあるんじゃないかな。できれば食べてみたいというのもあるんだけどね。その地域の文化として残していくべきじゃないのかなと思ってます。文化財的な視点ね。なくなったらもうおしまいだからね」
「それと、後はブランド化して商売になればいいですね。今、『八事五寸人参』なんかはそこそこ商売になっとるんじゃないかな。
『八事五寸人参』も『向陽二号』の普及により、交雑が起きてしまいました。僕の腹心の部下が人参売り出したんだけど、彼が「天白の人参、選(よ)っても『向陽二号』が混ざってまってどうしようもねえ」って言ったんです。要するに交雑してしまっていて、本当の『八事五寸人参』に戻すのには何年もかかるというわけですわ。
交雑したものを元に戻すためには、一年に一回しかない機会に、花粉を受粉させて、『八事五寸人参』の特色を持ってるやつを何年もかけて戻さないといけない。今の『八事五寸人参』も10年ぐらいかけて戻したということなんですよ。だけど、戻ってるかどうかはよくわからん。1回交雑したらそれは無理じゃないかと思うんだけど、そういうことで失われてしまいます。」

青空とにんじん畑2 写真:PhotoAC まめぞう氏
伝統野菜の販売戦略
手を離せば、簡単に失われてしまう伝統野菜。一度、消えてしまえば復活することはなく、交雑した場合には復活させるのに何年もかかってしまいます。そんな伝統野菜を保全していくためにはどうすれば良いのかをお聞きしました。
坂川氏は、伝統野菜の普及には、まずマスメディアによる認知度向上が必要であり、その後の経済的持続性の確保が重要だと指摘します。
「まず認知をしてもらうことが一つ。 それから生産者の方としては、やっぱり経済原則があるんで、お金がやっぱりちゃんと落ちるような形にしてやらなきゃいけない。個人の生産者や若い生産者が、〇〇マルシェやお寺の境内で市をしているから、そういう運動をもっと盛んにしたら良いと思うんだけど。ただ、生産している若い人たちは、そんなにたくさんいないんじゃないかと思うけどね。
一般の人も農業をすぐにはできないよね。今、畑がいっぱい余ってるんで、活用をするために、若い人たちが農業に取り組めるように行政を含めた法制度自体から考えていかないといかんということですね。
若い人達の中には子供が生まれて、もっと自然豊かな場所で子育てしたいだとか、そういう人もいるんじゃないかと思うんだよね。そういう人たちに空き家を与えて、畑も与えて、農業を育成させるみたいな運動もしていかないといかん。過疎化はどんどん進むと思うし、まあ若い人たちが農業やりたいっていう気にならないのが問題なんだけど。そういう人たちがいっぱい生まれるような環境を作らないといかんよね。伝統野菜を作ってくれる若い人たちもポツポツいるんですけど、やっぱりね、楽して儲かるとまでは言わなくても、せめて食ってけるぐらいの形にはならないといかんと思います」
伝統野菜だけでなく、日本の農業の持続性についても休耕地の活用や若い世代の農業参入を促進する法制度改革の必要性についても言及されました。
1.マスメディアによる伝統野菜の認知度向上を図る必要がある。
2.生産者に対して経済的に持続可能な形でお金が落ちるような仕組みを作る必要がある。
3.若い人たちが農業に取り組めるような法制度を含めた環境整備を行政と共に進める必要がある。
この三点を喫緊の課題として指摘されました。
消費者の皆さんへ
長きにわたる仲買人という仕事を通して、農作物の生産から消費者に届くまでを見てきた坂川氏からは示唆に富んだお話をたくさんしていただきました。まとめとして消費者の方へのメッセージを聞かせていただきました。
「いつも消費者の人にお伝えするのは、『豊作の時ほど食べてほしい』ということ。そして、旬のものを食べてほしいね。何がいいかって言ったら、旬だから量が多い、価格が安い。栄養価が高い。これはもう食べる条件が絶対揃ったなと。だから豊作の時はどんどん食べてほしい。
で、不作の時は生産者に感謝してほしい。雨が降り続いたり、日照りが続いてして難儀なところを、乾燥させたり、一生懸命水やりして作っとるんだから、値段が高い時でも文句言わずに感謝して食べてほしい。そして豊作の時には、たくさん食べないと、次の年は作ってくれんよ。
時々、トラクターでキャベツ潰しとる映像とかテレビでやるでしょう。生産調整ですよ。自分で作ったものをトラクターで潰すなんて、それは子供を産んで殺しちまうのと同じぐらい生産者は辛いと思うし、そんなことが続いたら、もう経済的にも無理になる。
生産者の苦労も売る側の苦労もね。長いこと見てきたから。10ヶ月間もさ、1 日も休みなしとかもあるわけで。だから、豊作の時こそ一生懸命食べてほしい、不作の時は生産者に感謝してほしい」
50年以上も市場を見てきた坂川氏が伝えるこのメッセージには、私たち皆で農業を守っていく意識が必要であることを思い知らされます。
「豊作の時はいっぱい食べる。不作の時は高くても感謝して食べる」
この坂川氏の言葉を記事の中でも、ちゃんと書くことを伝えると、
「俺の遺言と書いておいて」
と返されました。
遺言は、さすがに勘弁してください。
坂川氏には、ほかにも「大晩成キャベツ」「越津ネギ」「藤九郎ぎんなん」などの伝統野菜やトマトの「桃太郎」、岐阜の「イチゴ」など数々の野菜・果樹のお話をしていただきました。ここでは、紙幅に限りがあるので、にんじんに絞らせて頂きましたが、また、機会があればご紹介したいと思います。
【参考資料】
名古屋市中央卸売市場本場HP
農林水産省「1980年代後半の日本農業の地帯構成」
タキイ種苗株式会社「タキイの野菜-ニンジン」
小学館Hagukum「【1000人アンケート】子どもの「好きな野菜」「嫌いな野菜」は? 意外な野菜が人気&不人気? 対処アイディアとともにご紹介」
八事商店街振興組合「八事の位置」
nagogeoblog「八事裏山地域の地形・地質(概報)
プロフィール:坂川典夫氏 あいち在来種保存会顧問、加野青果株式会社果実部参事

2004年 愛知の伝統野菜構築メンバー NPO法人を経て現在に至る。
2011年 食の検定1級、食と農の語り部認定
2015年 あいち在来種保存会(種から国産)顧問
この間、全国各地で野菜・輸入野菜・有機野菜のマネージメント、韓国での野菜の栽培とマネージメント、ラジオ放送の番組作りと放送(東海ラジオ)、FMラジオ39放送のコメンテーター(FM瀬戸)、伝統野菜のマネージメント・講演・パネルディスカッション、産地・団体などでの流通関連の講演、各種イベントでの野菜と果実のお話、愛知大学オープンキャンパスでの客員講師などを手がける。
趣味はカントリーミュージックの演奏活動(活動歴約55年)
http://park12.wakwak.com/~cussy/
坂川典夫氏への取材・講演のご依頼は以下に直接ご連絡ください。
sakagawa@kanoseika.co.jp
おまけ
今回、坂川氏からいくつか資料をいただき大変参考になりました。その中に「市場のことを理解しやすいように」と漫画もいただきました。これが、めちゃくちゃおもしろかった!青果にかける仲買人の方がどのような仕事をしているのかを具体的に知ることができました。学生の方にも参考になると思うので、ご紹介させていただきます。
作者の方の夫が仲買人なので、話がとっても具体的。加えて「取引数量最少化の原理」や「不確実性プールの原理」といったマーケティング用語も出てきて、中間流通(市場)の存在意義を納得させてくれます。仲買人に興味のある方は一読の価値ありです。
絵は少女漫画チックですが、内容はガッツリ青年ビジネス漫画でした。
仔鹿リナ著『八百森のエリー1~6巻』」講談社(モーニングKC)2018
【協会関連記事】
2024年 猛暑の夏 ~野菜の適応力について考える~
伝統野菜と土壌の物理学 ~その土地の味わいになる理由~
