山口県下関の在来キャベツ彦島夏播甘藍(ひこしまなつまきかんらん)ついに消滅か!?~栽培する人がもういない!!~
目次
下関市の彦島で72年以上受け継がれてきた伝統キャベツ「彦島夏播甘藍(ひこしまなつまきかんらん)」が、2025年春、ついに作り手を失いました。
下関の風土が育んだこのキャベツは、かつては九州まで出荷された名品。しかし、時代とともに姿を消しつつあります。
本記事では、伝統野菜アンバサダー・詫間智子さんの取材をもとに、その歴史と栽培の背景、そして今も続く“復活への願い”を追いました。

彦島夏播甘藍最後の作り手 古谷富宏氏
最も身近な野菜キャベツ
食卓に欠かせない野菜キャベツ
お好み焼き、もんじゃ焼き、焼きそばにはもちろん、浅漬け、ザワークラウト、コールスローサラダ、ロールキャベツ、餃子、ホイコーロー(回鍋肉)、キャベツと豚肉の味噌炒め、ポトフ、ミネストローネ、そして、常に揚げ物に寄り添う千切りキャベツ。キャベツのレシピは無限に広がります。もはや、私たちの食事に欠かすことのできない野菜です。今回は、そのキャベツの伝統野菜である「彦島夏播甘藍(ひこしまなつまきかんらん)」の生産途絶についてレポートします。
が、その前にキャベツの基本的なことをおさらいしておきたいと思います。
産地リレーで生産されるキャベツ
キャベツは、国(農林水産省)が、消費量が多く国民生活上重要な野菜であるとして「指定野菜」に選定しています。指定野菜は、みんながいつでも野菜を食べられるように、生産出荷や価格を安定させています。また、価格が著しく下落した際には、農家に補給金を交付するなどの支援があります。栽培は、全国の気候条件に合わせ、時期ごとに産地を変えて、1年中、安定的に供給できる「産地リレー」が行われています。
キャベツの場合、冬は温暖な愛知県、春から初夏にかけては神奈川・千葉県、夏から秋にかけては涼しい標高の高い群馬県が中心となり、それぞれの時期で主要な産地がリレーされます。このように市場に出回るキャベツは、時期によって、ほぼ、産地が特定されるほど生産が集約されています。
しかし、かつては、それぞれの地域の在来キャベツも数多く存在していました。
キャベツの歴史
キャベツという言い方は、英語の「cabbage」が転訛したもので、和名では、「甘藍(かんらん)」と言います。筆者の知り合いの農家さんは、今でも「甘藍(かんらん)切ってくか?」と言います。(キャベツの収穫を手伝っていくか?という意味)
日本に伝来したキャベツは、江戸時代18世紀初めに長崎に伝わったものが最初だそうです。当時のキャベツは、葉が丸く巻かない非結球性で、葉の色は赤紫色、ちぢれ葉で、食用というよりも鑑賞用として扱われていました。それが、現在の園芸植物の葉牡丹になりました。葉牡丹は、英語ではflowering cabbage といい、学名はキャベツと同じです。
江戸時代後期の安政年間になると、食用キャベツの種子が伝わってきましたが、なかなか定着しませんでした。国内で本格的に食用キャベツが栽培されるようになったのは、明治初期に北海道で開拓使によって「札幌大球(さっぽろたいきゅう)」が作られるようになってからのことです。その後、明治政府が欧米からさまざまなキャベツの種子を取り寄せ、栽培を奨励したことで、キャベツの普及が始まりました。
数少ない伝統野菜のキャベツ
食用として本格的にキャベツが栽培されるようになったのは明治時代からです。伝統野菜としては、歴史が長い方ではありませんが、今日、指定野菜にもなったキャベツの先駆的な存在としても育種素材としても重要な品種です。
現在、日本の伝統野菜といえるキャベツは、以下の7品種しか確認することができませんでした。
・北海道…札幌大球(さっぽろたいきゅう)
・岩 手…南部甘藍(なんぶかんらん)
・東 京…中野甘藍(なかのかんらん)
・愛 知…野崎中生(のざきちゅうせい)
・愛 知…愛知大晩生(あいちだいばんせい)
・広 島…広甘藍(ひろかんらん)
・山 口…彦島夏播甘藍(ひこしまなつまきかんらん)
この他に、50年以上歴史のあるキャベツは、「富士早生甘藍(ふじわせかんらん)」(国内採種)、「黒葉サクセッション甘藍(くろはさくせっしょん かんらん)」、「ハニーキャベツ」(海外採種)などがありますが、品種数は多くありません。
キャベツは、多くの種苗会社が新品種開発を活発に行っており、耐病性や糖度、生育期間など、それぞれ異なる特徴を持つF1品種が多数流通しています。その品種数は、数百種類以上が存在すると推測されます。栽培しやすく、採種の手間もないF1種の拡大におされ、栽培が難しい伝統野菜のキャベツは数を減らす一方です。
栽培途絶える山口県伝統野菜のキャベツ
そして、今、「彦島夏播甘藍(ひこしまなつまきかんらん)」が、姿を消そうとしています。
今回、伝統野菜アンバサダーである詫間智子さんから、「彦島夏播甘藍」の栽培が途絶えるとの情報をいただき、急遽、「彦島夏播甘藍」について取材させて頂きました。
詫間さんは、伝統野菜アンバサダー・野菜ソムリエ・グリーンアドバイザーの資格を保有されています。野菜在来種の栽培や採種に造詣が深く、今回の「彦島夏播甘藍」の栽培や採種も経験されています。生産途絶に至る過程について、お話をお聞きしました。
「彦島夏播甘藍」とは
山口県の伝統野菜である「彦島夏播甘藍」は、下関市の彦島で育成されたキャベツです。
本州の最も西に位置する下関市は、三方を海に囲まれており、中でも響灘(ひびきなだ)に面した市の西側の沿岸部は、対馬海流(つしまかいりゅう)の影響もあり山口県の他の地域に比べると一年を通じて温暖な気候です。その下関市の南西部にある彦島は、周囲を海に囲まれた島ですが、橋や水門で本州と地続きになっているため、離島という印象はありません。
その彦島で育った「彦島夏播甘藍」の一番の特徴は、サイズが大きいことです。一般的な冬キャベツの重さが1.2~1.5kgなのに対し、「彦島夏播甘藍」は1.5~2kgあり、1~2割ほど重めです。形は扁平で、外観の球形ができてから中が充実する特性があります。葉がしっかり巻かないと甘味が出ず、収穫時期が早いと球が軽くなってしまうため、収穫タイミングの見極めが難しいそうです。

古谷富宏氏と彦島夏播甘藍
葉色は薄い緑色で、葉質は柔らかく、葉のしまりが良いのも特徴です。寒さには弱く、寒さに当たるとアントシアニンを生成して葉が紫色になりやすい弱点があります。
食味は、軟らかくシャキシャキした歯応えと強い甘味があり、生食に適していると言われています。「かつては、このキャベツだけで酒のつまみにしていた」という話をお聞きしました。刺身のツマにも適しており、今ではダイコンを添えますが、千切したキャベツを刺身に添えて食べていました。生で食べても甘みがありますが、火を通すとさらに甘みが強くなります。また、一枚の葉が大きいため、ロールキャベツを作る際には具が包み易いとのことです。軽く茹でて、好みのドレッシングをかけたり、塩昆布と和えたりしても美味しいそうです。

理想的な球の形の彦島夏播甘藍
下関市彦島のキャベツ栽培の歴史
下関市彦島で、夏播きキャベツの栽培が始まったのは 1929(昭和4)~1930(昭和5)年頃。当時は、「サダヤ夏蒔甘藍」や「野崎夏蒔甘藍(のざきなつまきかんらん)」が導入されましたが、小球で裂球が多かったことから、扁平で大球の裂球の少ないものを選抜・採種するようになったそうです。
その後、彦島で、彦島夏播甘藍採種組合の植田省己氏など10数名(『園藝新品種大鑑』より)が、「野崎夏蒔甘藍」と「黄葉サクセッション(きばさくせっしょん)」の交雑の中から選抜育種したものが、「彦島夏播甘藍」です。1953(昭和28)年10月9日に農林水産省に品種登録されています。
「彦島夏播甘藍」は、1955(昭和30)年代から1965(昭和40)年代にかけて盛んに栽培されました。下関市の彦島と六連島(むつれじま)と豊浦町(とようらちょう)はキャベツの指定産地に指定され、出荷先は、地元だけでなく、九州にも及んだそうです。しかし、1975(昭和50)年代後半になると、他の伝統野菜と同様に、交配種の普及が拡大し、徐々に栽培されなくなっていきました。そして、2003(平成15)年の時点では、すでに栽培している地域はなくなってしまい、前身の下関市農業試験場時代から種子を受け継いでいる下関市園芸センターが試験栽培するにとどまりました※1。
「彦島夏播甘藍」の栽培から現在に至る経緯を以下にまとめました。
| 「彦島夏播かんらん」栽培の履歴
【1945(昭和20)年代】 戦前はハクサイが多く作られ、昭和24、25年頃から生でキャベツを食べるようになる食生活の変化とともにキャベツが盛んに作られるようになった。昭和28年には「彦島夏播かんらん」の品種名で、農林水産省に名称登録された。 【1955(昭和30)年代~1965(昭和40)年代】 盛んに作られていた時期で、近郊のみでなく、北九州、福岡、久留米、熊本まで出荷していた。(当時は花も作っていたが、花よりもキャベツの方が高く売れた。) 【1965(昭和40)年代~1975(昭和50)年代】 昭和40年代~50年代には、各種苗会社が、固定種の欠点を補う一代交配品種(F1)を作るようになり、一代交配品種(F1)の種子を購入しての栽培が全国的に広まった。 【1980(昭和55)年~1985(昭和60)年頃】 昭和54年~55年頃、彦島においても、味は劣っても、形が良く、寒さに強く保存がきくということで交配品種が作られるようになった。 昭和55年~60年で彦島夏播甘藍の生産は無くなり、以後「大御所」に取って代わられた。 現在、彦島地区では彦島夏播甘藍は栽培されていない。 |
衰退の理由
「彦島夏播甘藍」が衰退していった理由としては、他の伝統野菜と同様に、栽培しやすいF1種が普及してきたことが最も大きな原因です。しかし、それだけではなく、一般的なキャベツと比べて倍ほどの重さがあり、収穫の負担が大きいことや、扁平な形であることから箱詰めがうまくできないことなども理由にあると推測されます。
さらに、詫間さんによると、彦島、六連島(むつれじま)は、「かつて渡り鳥であったヒヨドリの渡りのコースに当たり、群れでやってきて集団で食べ尽くされるから、キャベツ栽培そのものをやめた」と年配の方から聞いたことがあるとのことで、鳥害に遭いやすい品種であったことも理由でしょう(他の地区でも在来種のキャベツは、鳥がよくついばむと聞きます)。
これらの要因により、高度成長期の市場に出荷するには経済合理性が低い品種という位置づけになってしまい、栽培する人がいなくなっていったのです。現在、同地区では、花卉のハウス栽培が盛んで、「彦島夏播甘藍」を栽培する農家は一軒もないそうです。
復活に向けての取り組み
その後、2004(平成16)年以降、山口県や下関市(農業振興課)も調査に力を入れてきました。
2006(平成18)年頃、伝統野菜の復活に向け、勝山園芸組合がJA山口県、山口県下関農林事務所、下関市など関係機関の支援により、自家採種・栽培の取り組みを始めました。2009(平成21)年からは、「彦島夏播甘藍」の本格的な生産が開始され、多くの消費者に「彦島夏播甘藍」のおいしさを知ってもらいたいと、安定生産に向けて取り組んでこられたそうです。一時は勝山園芸組合・キャベツ部会の10農家が約3.5反に植え付けを行い、出荷も始めていました。
2009(平成21)年11月には、収穫したキャベツが下関市内の一部の幼稚園及び小中学校で、『キャベツのサラダ』として給食にも登場したとのことです。
しかしながら、現在は、勝山園芸組合では共同出荷と栽培をやめています。
その後、彦島で栽培されなくなった「彦島夏播甘藍」は、下関市園芸センターで、前身の下関市農業試験場から種子を受け継ぎ、種子の保存業務が続けられました。かつて「豊関地域」(ほうかんちいき)と呼ばれていた下関市内と豊浦郡で栽培されていた「かきちしゃ」、「彦島春菜(ひこしまはるな)」、「涌田ワケギ(わいたわけぎ)」など8種の伝統野菜とともに、採種栽培が継続されてきました。
しかし、同センターも2022(令和4)年3月31日に閉園してしまいました。残された伝統野菜の品種は、下関市内の篤農家の方々が栽培を継続するのみとなってしまいました。
詫間さんは、「彦島夏播甘藍」の栽培を続けていた古谷富宏氏のことを「師匠」と呼び、国の農研機構のジーンバンクに「彦島夏播甘藍」の種子を預託しようと古谷氏に相談していた矢先に古谷氏が天寿を全うされたのです。
「彦島夏播甘藍」は、2025年春、作り手を失ってしまいました。
詫間さんは、古谷氏が長きにわたり保存・継承に尽力されてきた品種を継承してくれる方を探し、東奔西走しました。しかし、継承者は現れず、種子は、詫間さんによって、農研機構への預託の話が進められています。
栽培の難しさ
そもそも、アブラナ科の野菜は交雑しやすく、元々の形質が変容してしまいやすい作物です。また、自家不和合性という性質を持っており、同じ株同士では種子ができず、異なる系統の株と出合うことで種子ができます。
「彦島夏播甘藍」は、7月25日~8月5日に種を播きます。これよりも早くも遅くもせず、この期間内に播種するそうです。収穫時期は11月下旬~12月末まで。
採種を行う場合には、母本を選抜して、ハウスに移動させ、越冬します。ただし、「春先はコナガなどの害虫がつきやすいので、病害虫対策には注意が必要です。

母本の選抜

ハウスの母本を見回る古谷富宏氏
交雑しないように蕾(つぼみ)の段階から袋を掛け、蕾がふくらんできたら、めしべの周りのおしべをピンセットで取り除く除雄(じょゆう)を行い、ピンセットで花粉親の株の花粉を取ってシャーレに集め、それをめしべの柱頭に受粉する株間交配を行います。こうして交配を行い、種子が熟すのを待ち、種子が入った莢(さや)の色が変わってきたら枝ごと刈り取ります。枝を束にしてさかさに吊るし、乾燥させ、乾燥後は莢から種子を取り出し、ふるいにかけてゴミや未熟な種子を取り除き、冷蔵庫に入れて保管します。
「収穫が終わったから一段落というわけではなく、その後の採種に向けて、花がついてからが大変」なのだそうです。
このような採種の手間も、在来種からF1種への移行に拍車をかけた大きな要因です。

彦島夏播甘藍の花と蕾
絶賛、継承者募集中!だけど…
詫間さんは「伝統野菜は、その地で栽培されてこそだと思う。地元の農家さんで栽培してくれる方がいれば、お願いしたい」と話されます。きちんと育てた「彦島夏播甘藍」は、鮮やかな黄緑色の葉をし、食味はえぐみが少なく、キャベツ本来の味がするそうです。
しかし、先に述べたように、在来種のキャベツは栽培も採種も容易ではありません。そのため、地域のベテラン農家さんでも、いや、ベテラン農家さんだからこそ、敬遠する品種だそうです。
筆者の知人で、キャベツの一大生産地である渥美半島でキャベツを栽培しているプロ農家の方がいますが、在来種のキャベツの栽培の難しさは群を抜いていると言います。渥美でも50年前の品種のキャベツを栽培しているのは数戸だけ。彼らも「手間がかかる採種はできない」ので種子を購入しているそうです。
「彦島夏播甘藍」も、継承者は現れて欲しいものの、誰もが栽培できる品種ではないことがジレンマです。できれば、下関市内で腕に覚えのある農家さんが受け継ぎ、採種の技術も含め、次世代に継承していってもらえるのが理想だとのことです。
本当に美味しい在来種の野菜を生産するには、播種時期から始まって、採種に至るまでのさまざまな側面で、その品種ならではのコツがあります。栽培の継承が途絶えれば、その技術もやがて消えていってしまいます。それらを伝えられるうちに、後を継ぐ強者が現れることを期待したいと思います。
【取材協力】
詫間智子氏
日本伝統野菜推進協会認定 伝統野菜アンバサダー
日本野菜ソムリエ協会認定 野菜ソムリエ
日本家庭園芸普及協会認定 グリーンアドバイザー
下関市園芸センターに関わっていた経歴もあり、在来種の保全・継承に尽力されています。今回、「彦島夏播甘藍」に関する取材および資料提供を頂きました。
誠にありがとうございました。
【参考資料】
※1 タキイ種苗出版部『地方野菜大全: 都道府県別』(2002)農山漁村文化協会P247
秋谷良三編著『蔬菜園芸ハンドブック-増訂改版-』(1970)養賢堂 P951
山口県農業試験場『やまぐちに伝わる野菜と果樹』(2005)
梶浦實編『園藝新品種大鑑』(1956)養賢堂P217
2003(平成15)年9月24日「日本農業新聞」
2006(平成18)年4月2日「山口新聞」
